日本は“安楽死”とどう向き合う? 緩和ケア医「“家族の押し”で決まることはあってはならない」
これに廣橋氏は「欧米は本人の意思をとても尊重する。もちろん家族の意見も参考にしつつだが、亡くなった後に気持ちのつらさがあったという例は実際に聞いている」とした。
■日本で進まない議論、必要な土壌は
廣橋氏はXへの投稿で、国民から安楽死を認めてほしいという声があることに理解を示しつつ、「日本ほど自己決定権の薄い国では難しい」と述べている。がんや予後の告知は本人がないがしろにされるケースがあるが、「家族の押しで安楽死する」ようなことがあってはならないと危惧している。 茂木氏は「まさにそのとおりだ。この話は“個人が決める問題だ”と思いがちだが、その人がどういう環境にいるのかでも変わってくる。本人への確認以外にも、違う場所や違う人のところに行ったり、環境を変えることも含めて考える豊かさがないと、おかしな議論になる」との考えを述べる。
これに廣橋氏は「体のつらさを和らげることも大事だが、環境を整えたり、どこかに行ったり、別の人と話すといったことも緩和ケアだと思う。それらをやってもダメで最終的に安楽死、という議論ならまだいいと思うが、その前の話が抜けている」とした。 緩和ケアで終末期の患者の苦しみを和らげるため、薬の投与量を変え、場合によっては患者の寿命を縮めてしまうという行為は、消極的な安楽死の側面があるのではないか。 「治療の目的論が大事だ。我々がやっているのは苦しさを和らげるためで、寿命は縮まないというスタンスをとってはいるが、結果は神のみぞ知る。ただ、“苦しみを和らげるためにやっている”と本人や家族みんなの合意が得られていれば、やりがいを持ってやれると思う」
その上で、「もっと死について話し合うことから始める必要がある」と投げかけた。 「欧米で議論が進んでいるのは、死について話し合ってきたから。人間はがんになったり、難病になったり、急にぽっくりいってしまうこともあるが、亡くなった方のご遺族が“見送れてよかった”と思える一番のポイントは、事前に死について話し合っていること。遺族の救いは“希望を叶えられてよかった”だ。その救いを得るためには、まず話し合いから始めないといけない。死について話し合うこと=どう生きるかを話し合うということで、そこをはき違えずに両方の意見を大事にしていくべきだと思う」 (『ABEMA Prime』より)