上層部の指示に逆らい、開業初日に時速200キロ。60年前、東海道新幹線の一番列車で若き運転士がかなえた夢
計画外の走行だったが、指令から問いただされることはなかった。大津市付近で、アクセルに当たるノッチハンドルを握る手に力を込めた。ビュッフェ車の速度計は「160」を超え、「210」を指す。乗客は世紀の瞬間に沸き立った。 「速さを体感してもらいたい」と名古屋からの区間でも再び200キロを出した。東京駅に定刻より早く到着しそうになり、最後は山手線の列車に抜かれるほど速度を緩めたが、心は晴れやかだった。 「まるで花道。皆が夢に向かう良い時代だった」 ▽ビジネス、観光に欠かせない「大動脈」 それから60年後の2024年。東海道新幹線は延べ70億人もの乗客を運ぶようになった。昭和、平成、令和と時代が移ってもビジネスや観光に欠かせない「大動脈」だ。 輸送面では、1992年の「のぞみ」の効果が大きかった。JR東海によると、2022年度には年間輸送人員が1億3100万人、1日の運行本数は開業当時の約6倍となる356本まで増えた。
目的地への所要時間の短縮も追求した。開業時の「0系」は東京―新大阪間が最短4時間。のぞみ用に開発した「300系」は最高時速270キロになり、2時間半まで縮めた。現行車両のベースとなっている「N700系」からは車体を傾けてカーブで速度を保つ技術を導入し、最新の「N700S」では2時間21分になった。 ▽「ドル箱路線」、経営の進化促す 東海道新幹線はドル箱路線となり、経営面でも進化を促した。コロナ禍前の2018年度は売上高1兆8781億円に対して営業利益が7097億円となり、営業利益率は38%に達した。 コロナ禍の2020年度は、輸送人員が2018年度の4割弱に落ち込み、純損益は2千億円超の赤字に転落した。1987年の国鉄民営化以降で初の赤字だった。「日本の大動脈」としてほぼ通常のダイヤを続けたため、人件費や設備の維持費がかさんだ。 苦境を機に、移動に付加価値を付ける取り組みが進む。リモートワークの普及に合わせて座席での通話やウェブ会議ができるビジネス車両を導入。結婚式などができる車両貸し切りサービスも企画する。
その結果、コロナが5類に移行した2023年度は乗客数の回復基調が鮮明になり、業績はコロナ禍前に近い水準まで戻った。他にも、センサーで車両の外観検査を自動化するシステムを将来運用する予定で、さらなる高収益体質を目指す。 ▽リニア運行で役割に変化も そして現在、JR東海は時速500キロに達するリニア中央新幹線を建設する。東京の品川―大阪間はなんと67分。東海道新幹線の役割が変わり、停車駅の多い「ひかり」や「こだま」の存在感が増すとの予測もある。