大阪の魔窟・味園ビルの飲み屋街が年内閉店「“終わらない文化祭”のようだった」
大阪でディープスポットとして人気の「味園ビル」。1955年に建設され、かつて宴会場、キャバレー、ホテル、レンタルルームなどが存在し、現在は1階のライブハウス、2階のテナントフロアにスナックや飲食店が営業している。近年は外国人観光客を集めていたが、今年いっぱいで2階のすべてのテナントが閉店することが報道された。 味園ビルでライブシアター「なんば紅鶴」「なんば白鯨」など4店舗を運営しているB・カシワギさん。半世紀以上にわたって大阪のランドマーク的存在だった味園ビルの飲み屋街の閉鎖について、彼は何を思っているのか。かつて「なんば紅鶴」でイベントを開催した経験のあるライターのカワノアユミが話を聞いた。 ⇒【写真】大阪のランドマーク的存在だった味園ビル
時代の移り変わりとともに…
カシワギさんが味園ビルでライブシアター「なんば白鯨」をオープンしたのは2009年9月のこと。もともとはお笑い芸人として活動していたカシワギさんが、ライブシアターをオープンするまでにはどのような経緯があったのだろうか。 「最初はサイキック青年団というラジオ番組に憧れ、北野誠さんのいる松竹芸能に入りました。でも、当時は芸人がトークイベントができるライブハウスが少なかったんです。当時、新宿ロフトプラスワンのようなライブハウスでトークイベントをやりたいという憧れはあったのですが、大阪にはありませんでした」 ちょうどその頃、カシワギさんの先輩が味園ビルでテナントを借りていた。その先輩が店を閉めることになり、そのスペースを譲り受けたことがきっかけだった。 自分たちで好きなことができる場所がほしいと思っていたタイミングで譲り受けたそのスペースが、現在の「なんば白鯨」の前身となったという。ビルは活気づいていたものの、まだ空いているテナントはある状態だった。 「昔からあったスナックは時代とともになくなっていって、今ほどの盛り上がりはありませんでした。それまでは毎月、どこかの店がオープンしては潰れるという流れの繰り返しだったんです。その後、徐々に色々な店が増えていき、今の味園ビルのような形になっていきました」