福岡大附大濠・湧川裕斗――開花につながった自己改革の1年間[ウインターカップ/高校バスケ]
手札を増やし3Pに頼り切らない選手へ
この1年、特に磨いてきたのが“プレーメイク”の部分だ。「去年は3Pシュートを打つだけの選手で、ディナイされたら何もできなかった」という湧川は、ドライブや周りを生かすアシストなどを身に付け、3Pシュート以外のスキルを向上させてきた。 その際に有効になったのが、試合映像を通じて学んだバスケットIQの向上。 「オフェンスではNBAのウォリアーズ、ディフェンスではウルブズの試合を見ていました。特にウォリアーズの試合からは、いろいろな戦術の中で『相手がこう動いたらこうする』というさまざまな選択肢を学びました」 “こういう状況では、こう動く”という知識を得た上で、そこから逆算し、ピックを使ったプレーやアシストなどの必要なスキルを身に付ける。それは残り1年という限られた時間の中で、大きく進化するための全力の取り組みだった。片峯コーチも「気付いたことをメモに取るなど、日頃の取り組みから変わっていった」と変化を語る。 その成果として、湧川は「3Pシュートが入らないときにどうするか」という選択肢を手に入れた。確かに3Pシュートは彼の強力な武器だが、それに固執せず、手札を増やしてディフェンスへの対応力を身に付けたのだ。それはシューターとしての精神的プレッシャーを軽減し、のびのびとプレーするための一助となった。 数々の悔しさを糧に、この1年で、リーダーシップとプレーの両面で大きな自己改革を遂げた湧川。「優勝するときには必ず求心力のある選手がいる」とは、片峯コーチがよく話す持論だが、湧川はウインターカップ前、「日本一になるために、プレーで引っ張ることはもちろん、チームを鼓舞できる求心力のある選手になりたい」と宣言していた。同学年には渡邉、髙田という国際舞台の経験が豊富な選手たちがいるが、それでも湧川は、彼らに頼るのではなく自らチームを引っ張る覚悟を固めていた。 そして、宣言どおりチームを日本一へと導いた今大会。そこには、かつて中学生のときに憧れた“13番”を堂々と着こなしながら、大きな声を出してコート内外でチームを鼓舞し、状況に応じてオールラウンドにプレーする湧川の姿があった。それはまさしく、周りを巻き込む「求心力のあるリーダー」だったと言えるだろう。 優勝の瞬間、あふれる涙をユニフォームでぬぐった湧川。充実のシーズンを終え、「うまくいかないことも多かったし、キャプテンとしてもなかなかうまくいかず本当に苦労しました。でも最後にこうして日本一になれて、『ここまで頑張ってきて良かったな』って、うれしい気持ちです」と目を赤くしながら笑顔でこの1年間を振り返った。
文/中村麻衣子(月刊バスケットボール)