中村勘九郎「父も、喜んでるなって思いました」坂東玉三郎がカーテンコールで平成中村座の舞台に
姫路城公演では、昼の部で学生貸し切りも
――姫路城公演では、昼の部で学生貸し切りの日がありました。 うれしかったですよ。やっぱりね、歌舞伎を観たことのない方はたくさんいますし、歌舞伎教室だとか、そういう授業の一環として見ることが多かったんですけれども、全館貸し切りであの「平成中村座」という雰囲気を味わってもらえたのでね。 学生さんたちのアンケートを見ても、「見方がわからない」と。そこは、歌舞伎のもつイメージなんでしょうね。 見方なんてないじゃないですか。でも、「どうやって観たらいいのか」「ルールがあるんじゃないか」と思わせてしまっているという部分を、これから変えていかないといけないなというのはありますね。 ――実際に、学生の反応はいかがでしたか? 最初の「播州皿屋敷」は、最後の演出はみんなで考えて。あれは、すごかったですね。たぶん、表まですごい声が響いてたんじゃないかな。ただでさえ、あそこは音漏れが多いので、「キャーキャー、ワーワー」と(笑)。 その「播州皿屋敷」のせいでですね。鰯賣(「鰯賣戀曳網」/いわしうりこいのひきあみ)で花道から出るんですけれども、揚幕(あげまく)を開けるときにシャリンという大きな音がするので、(揚幕が)開いた瞬間に、花道脇の生徒たちが悲鳴をあげて飛び退くっていうね。 恋煩いで弱々しく「伊勢国に…」って言わなきゃいけないのに、笑っちゃって。でも、そうやって楽しんで見てくださったので、良かったなと思います。 ――姫路という街はいかがでしたか? 最高でした。本当にいい街でした。 初めて行く土地ですし、不安だったんですよ。一ヵ月の興行をしたことがない場所だったので、食べることひとつとっても、お店を知らないですし。「食」は、体のメンテナンスの部分で影響が大きいですから。でもね、冗談抜きで全部おいしかったです。行ききれなかったですもん。だから、早くまた行きたい(笑)。 駅を降りて、幟(のぼり)が立っていて、ポスターが貼ってあって…商店街だけではなく、街全体で歓迎してくれたのは、本当にありがたいことでした。また姫路に戻って来たいですね。