野球か特別支援教育か 甲子園を目指したくても目指せない生徒たち
甲子園は多くの高校球児が目指す夢の舞台だ。しかし、甲子園を目指したくても「硬式野球部」のある学校に進めず、目標にすらできない生徒がいる。知的障害のある特別支援学校の生徒。大好きな野球をやめるか、それとも障害に沿った専門的な教育を受ける機会を諦めるのか。「2択」しかない現状を変えようと、奔走する人々がいる。 【写真特集】夏の高校野球、沖縄大会が開幕 5月28日、東京都立第五商業高のグラウンド。愛知県立豊川特別支援学校高等部3年の林龍之介さん(18)が少し緊張した面持ちで報告した。 「愛知県地区予選に連合チームで出ることになりました。精いっぱい頑張ります」 林さんの通う学校が愛知県高校野球連盟に加盟し、今夏、甲子園の予選となる愛知大会に出場することが決まった。一色、加茂丘、衣台、御津との計5校の連合チームで参加する。 全国の特別支援学校に通う仲間から拍手で祝福されると、林さんは「いろんな方の協力があって夢がかなった。感謝の気持ちでいっぱいです」と笑顔を見せた。 ◇意欲を育てるプロジェクト発足 都立青鳥特別支援学校の久保田浩司教諭(56)は2021年3月、特別支援学校の生徒を対象に、元プロ選手らが硬式野球を指導する「甲子園夢プロジェクト」を立ち上げた。 社会人野球・YBC柏(千葉)の元監督の久保田さんは、1988年から特別支援学校(採用当時は養護学校)に勤務する。学校でソフトボールを指導してきたが、健常者の大会でも少しずつ勝てるようになり、「知的障害がある生徒でも甲子園を目指すことは夢じゃない」と実感した。まずは硬式野球をしたい生徒の受け皿を作ろうと「甲子園夢プロジェクト」をスタートした。 昨春から毎月1回ほど、合同練習を受け入れてくれる高校のグラウンドや民間施設を借り、プロ野球・ロッテの抑え投手として活躍した荻野忠寛さん(40)らが講師となって硬式野球を指導している。最初の練習会は中高生11人が集まったが、発足から1年以上たった現在は30人以上が参加する。 久保田さんの目的は硬式野球の練習ではなく、生徒自身が「特別支援学校でも甲子園を目指したい」と言える意欲を育てることだ。最終的には特別支援学校が単体で甲子園予選に出場することを目標にしている。 久保田さんによると、硬式野球部がある特別支援学校は全国的にも「ほとんど聞いたことがない」という。そのためプロジェクトの練習会には北海道や京都など遠方から来る生徒もいた。 ◇野球への熱意伝わり高野連に加盟 特別支援学校の生徒が野球に関心がないわけではない。林さんはプロ野球の選手名鑑を丸暗記するほどの大の中日ファンで、高校野球もよく見に行った。だが、知的障害があったことから、両親は「チームに入って野球をすることは難しいのでは」と感じていた。 諦めかけていた時にプロジェクト発足の記事を目にし、すぐに久保田さんに連絡を取り、最初の練習会から参加した。練習のしすぎで腰を疲労骨折したこともあったが、初めてプレーする野球に熱中した。 甲子園予選に出場するには、学校が所在する都道府県高野連に加盟する必要がある。林さんは高等部2年の時、学年末の三者面談で、母親と一緒に愛知県高野連への加盟を学校に希望した。学校側は承諾し、愛知県高野連に加盟して夏の甲子園を目指す道が開けた。 日本高野連は12年から、部員不足の学校同士による連合チームの公式戦出場を認めている。12年以降、特別支援学校が夏の地方大会に連合チームで参加するのは、16年からの鹿児島特別支援学校のケースがある。 特別支援学校の加盟について、日本高野連は「基本的には全日制高校と同じ手続きを行う」としている。そのため、手続き上は高いハードルではない。 では、なぜ特別支援学校で硬式野球ができないのか。 久保田さんはこれまで、特別支援学校で硬式野球部を作ろうとしてきたが、学校の理解がなかなか得られなかったという。「硬式野球が分からないと、イメージするのはプロ野球や甲子園の高校野球。豪速球などのイメージから『危ない』と言われ、渋られる」 豊川特別支援学校の関係者も、林さんの申し出に最初はびっくりしたという。同校高等部主事の杉山徹教諭(50)は「硬式野球は知的障害者向けの大会はなく、主流競技ではない。取り組んできた例がなく驚いた」と明かす。 だが、林さんが他の高校の生徒と熱心に合同練習に取り組む姿を見て、「練習を積めば(知的障害がある生徒も)硬式野球をできる可能性はあるんだと感じた」と印象が変わった。 ◇「野球か専門教育か」悩む家族も プロジェクトの成功例ができた一方、久保田さんに相談のメールが届いた。知的などの障害がある中学3年生の保護者からで、進路に悩んでいる内容だった。 生徒は小学1年から野球を始め、現在も硬式野球チームに所属するが、進学先として特別支援学校を勧められた。 「野球部のある高校へ行くべきか、野球を諦めて特別支援学校に行くべきか悩んでいる。本人は『僕は野球をしてはいけないんだ』と自信をなくしている」 保護者の悲痛な思いがつづられていた。 プロジェクト発足後はこうした問い合わせが多く寄せられるという。実際に野球を諦めず、知的障害を抱えながら高校に通った生徒もいる。 だが、久保田さんは「勉強についていけるのか心配。特別支援学校なら日常生活の指導もあったり、障害のある子供に適した卒業後の進路を考えたりすることができるが、多くの高校ではそれは難しいと思う」と語り、「やはり特別支援学校に野球部ができないことが大きな問題だ」と頭を抱える。 障害者スポーツに詳しい西九州大学(佐賀)の山田力也教授は「リスクを回避したい学校側の気持ちは分かるが、『硬式野球は危険だから』というのは、障害のある子供以外もスポーツでけがをすることはあるので理由にはならない」と指摘する。 さらに、山田教授は「野球という競技のこと、知的障害がある生徒にスポーツをどう教えるかということ、この二つを備えた指導体制があれば、問題なく硬式野球にも挑戦できる。今回のプロジェクトの成功例をきっかけに、こうした動きが広がってほしい」と語る。 豊川特別支援学校のケースが一過性でなく、後に続く例が出てくるか。林さんが入った連合チームは7月10日、愛知大会初戦で一宮西高と対戦する。【尾形有菜】