イスラム教とは何だろうか 橋爪大三郎(社会学者)
イスラム教は、ほかの宗教に対して不寛容なのか。 ムハンマドは「最後で最大の預言者」、とムスリムは信仰告白する。「最大」だから、ムハンマドの啓示であるクルアーンを重視する。「最後」だから、ムハンマドより後に預言者は現れない。逆に言うと、ムハンマドより前にアラーの預言者がいた、と認める。アラーとは、アラビア語でGodの意味。天地の創造神で、旧約聖書のヤハウェ、新約聖書の父なる神のことである。モーセをはじめ、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルら、旧約の預言者たち。洗礼者ヨハネ、マリアの息子イエスも、アラーの預言者である。ユダヤ教徒、キリスト教徒もアラーを信じている。ならば、彼らの信仰の自由を認める。ただし税金をちょっと余計に払いなさい。宗教的寛容は、イスラム教に内蔵されているのだ。 ただしイスラム教は、偶像崇拝を厳禁する。伝統文化や民族宗教を完全にリセットし、イスラム教に上書きするために、不可欠だからだ。
「イスラム主義」とは何か。大航海時代と産業革命を機に、キリスト教徒が世界を支配した。イスラム世界を植民地にした。ようやく独立しても、アメリカの覇権は続いた。過酷なグローバル競争のもと、一部産油国を除けば、貧しいまま。それならいっそ、イスラム教の原則に回帰しようという主張が、希望を持てない人びとの支持を集めた。 「イスラム国」は、そうしたイスラム主義過激派の、新しいパターンをうみだした。反政府武装勢力となって、一部地域を実効支配する。ことさら大昔のイスラム教のやり方をまね、イメージ宣伝をする。先進国の不遇な若者を、インターネットを通じてリクルートする。国境をまたいでネットワークを拡げ、カリフ(ムハンマドの後継者)を名のる。やっかいな闘争スタイルだ。 イスラム主義は、うまく行かない近代化から目をそむける、退行現象の一種だ。日本のかつての、アジア主義に通じるものがある。イスラム国はまもなく壊滅するだろう。だがまた、新手のテロリズムが現れるだろう。グローバリズムの剥き出しの競争原理にかえ、融和の原理を内蔵させること。イスラム文明が近代化への道筋をつけること。こういう課題を地道にこなしていくならば、希望が見えてくるかもしれない。 ---------------- 橋爪大三郎 (はしづめ だいさぶろう) 社会学者。現在、東京工業大学名誉教授。元東京工業大学世界文明センター副センター長。理論社会学、現代アジア研究、比較宗教学、日本プレ近代思想研究など、幅広い領域で活躍。著書に『世界がわかる宗教社会学入門』(筑摩書房)、『国家緊急権』(NHKブックス)、『労働者の味方マルクス』(現代書館)ほか多数。