「隊中様」藤山しのぶ 平川の鎧ケ峠で供養祭【山口】
明治維新後の脱隊騒動で戦死した幕末諸隊の隊士、藤山佐熊(すけくま)を供養する祭りが9日、墓がある山口市平川地域の鎧ケ峠で行われた。主催の奉賛会(重冨秀次会長)の会員ら20人が参加し、地域住民から尊敬された藤山をしのんだ。 藤山は現在の阿東嘉年の農家の生まれ。諸隊の一つ、振武隊に入隊し、戊辰戦争に軍医として従軍した。明治政府樹立後、版籍奉還により財政が悪化した山口藩の藩政改革に伴い、諸隊の農民兵らは褒美も無く、解雇された。これに反抗して隊を抜け、藩庁を取り囲むなど実力行使した兵士たちと鎮圧しようとする政府軍の争いが脱隊騒動。藤山も脱隊した兵士で、2月9日に鎧ケ峠の戦いで戦死した。 騒動の中で平川地域に駐屯し、村人の病気を治療した藤山を敬う地域住民が、峠の8合目に墓を建てて供養。墓に参ると病気が治り、願いがかなうと多くの人々が訪れた。参拝禁止令もあったが、ひそかに信仰する人は絶えず、いつしか命日には供養祭が行われるようになった。諸隊の隊士を「隊中様」と敬愛する文化は各地で見られるが、藤山ほど有名で、長く供養が続いている例は他にないという。 近年は、降雪で山中にある墓まで行けないこともあり、祭りの日を4月9日に変更。参拝前には奉賛会で山道を整備している。 墓前では高倉荒神社の宮成恵臣宮司により慰霊の神事が行われた。重冨会長(66)は「私が小さいときから続く行事。高齢化と文化の風化も進んでいるが、できる限り続けていきたい」と話した。15年以上、参加している内田専司さん(72)は「親族で代々慰霊してきた。今年も無事に参拝できるくらい元気だったことが御利益」と語った。 お旅所となった小出公民館で、墓まで上がれない人のために置かれた祭壇を参拝する人の姿が見られ、藤山の生涯と偉大さを伝える紙芝居の披露もあった。