献血がつないでくれた命 高校生で血液がん発症、闘病続けた女性「ありがとうの最上級の言葉を」 14日は世界献血者デー
高校生で血液のがんを発症した女性がいる。高松市の会社員後藤千英さん(46)。数々の治療を経て、34歳で骨髄移植に踏み切るまでは、多くの人の輸血で命をつないだ。今では講演にメディア出演に、全国を駆け回る。「直接『ありがとう』を言えない代わりに、自分の経験を伝えたい」。14日は世界献血者デー。 【写真】血液がんで闘病中の女性、ラジオに出演した際のはつらつとした姿の女性 「治療を頑張って早く社会に復帰することで、私のために体を使ってくれた人に恩返ししたかった。ありがとうの最上級の言葉を、今は探しています」。5月下旬、広島市中区のラジオ局スタジオにその姿はあった。はつらつとした笑顔に引き込まれる。 病が見つかったのは1995年、高校2年の冬だった。朝起きたら、手の甲が腫れていた。精密検査の結果、告げられた病名は「骨髄異形成症候群」。血液をつくる造血幹細胞が、がん細胞を生み出していた。 それからは目立った症状はなく、進学して就職もした。どこかで不安な心にふたをしていた。しかし30歳を目前に、重度の貧血の症状が出始める。「階段も上がれず、コピー機の前に立っただけで体がさわさわした」。顔も歯茎も白くなった。医師からは骨髄移植を勧められたが、つらい闘病に耐える自信がなく、輸血治療に頼った。 効果は絶大だった。体に血が入ると、どんどん顔や手が温かくなるのが分かった。「血液って冷蔵保存されてるはずなのに、体がぽかぽかしてくるんです」。帰り道は心も体も軽くなった。 最初は月1回だった輸血の間隔は狭まり、4年目には週1回のスパンにまで縮まった。最終的に体は限界を迎え、2012年1月に骨髄バンクに患者登録。その年の6月に移植を受けた。 献血してくれた人にもドナーにも、直接会ってありがとうは言えない。「でも、私が発信することで、患者の感謝の気持ちが伝わるといいなと思っています」
中国新聞社