早稲田実は王貞治・荒木大輔・斎藤佑樹を輩出した誇り胸に名門復活目指す…[甲子園100年 変わらぬ情熱 夏の高校野球]<上>
全国高校野球選手権大会の地方大会が各地で始まった。甲子園が誕生した1924年の第10回大会に出場し、100年前から変わらぬ情熱で大舞台を目指し続けているチームの今を、3回にわたって伝える。
東京都八王子市にある「王貞治記念グラウンド」。隣接するクラブハウスに飾られたレリーフには、1905年の創部からの卒業生の名前が刻まれている。王貞治、荒木大輔、斎藤佑樹……。数々のスターを生んできた名門だが、2017年の選抜を最後に聖地から遠ざかる。主将の宇野真仁朗(3年)は「甲子園の舞台に戻りたい」と意気込む。
選手権は29度出場し、優勝1度、準優勝2度。1924年、初めて甲子園で開催された第10回大会にも出場した。2回戦で敗れたものの、同年春の選抜と翌年夏の選手権はいずれも準優勝している。「当時は黄金期だった」と語る和泉実監督(62)の言葉に、黎明(れいめい)期から甲子園を沸かせた伝統校の誇りがにじむ。
2006年夏の旋風は記憶に新しい。エースの斎藤を中心に、選手権で初優勝。快進撃を続ける選手たちを目の当たりにした和泉監督は、「甲子園は持っている力以上のものを出せる場所。子どもたちは、大舞台でこそ成長する」との信念で指導にあたっている。
OBが初めて甲子園の土を踏んでから100年。チームを引っ張る宇野は、高校通算本塁打60本超の強打者だ。春の東京大会では木製バットで3本塁打を記録し、プロも注目する。しかし、チームは4回戦で敗退。守備の乱れもあって流れを手放し、得点は宇野のソロによる1点だけだった。和泉監督は「宇野頼みでは限界がある。打撃は水物だし、守れないと勝てない」と戦力の底上げを図ってきた。
練習では、打撃だけではなく、守備の連係確認に力を入れる。「チームの絆ではどこにも負けない。学年を気にせず言い合える関係を作ってきた」と宇野。けがで春を棒に振ったエース左腕の中村心大(2年)も「100年の節目に全国制覇したい」と誓う。