20人に1人が精神疾患! 現代社会の生きづらさは人間の「自己家畜化」が生み出した?
――精神疾患の話が出ましたが、近年注目されている発達障害も、文化的自己家畜化の過程で生み出されたのでしょうか。 熊代 生み出されたというより、浮かび上がってきたというほうが正しいでしょうか。 18~19世紀頃から、放浪者や社会からあぶれた人々を精神科病院に隔離して管理するという風潮が生まれました。 その後、特に20世紀以降は「社会規範から外れた人」の定義が広がります。そして現代では、かつては社会に許容されていた人でも、精神科医療を受けないと生きていけない時代になってきたわけです。 現在、精神科医療の外側で語られているHSP(とても繊細な人)なども、そうした現代の生きづらさのひとつの表れなのかもしれません。 ――現在でもマナー本はよく売れますが、数百年前のヨーロッパでもマナー本がベストセラーになっていたと本書で指摘されていて、驚きました。 熊代 身分制度が厳格だった時代において、マナーは上の階級がその下の身分と差別化する手段でした。「ほかの人よりきちんとした人間に見られたい」という動機は数百年変わっていない気がします。一方で、数百年の間に守るべきマナーがどんどん増えてしまいました。それを守るのはとても大変ですよね。 ――精神疾患を抱える人が増え続ける現在、例えば「誰しもがなんらかの点でアブノーマルである」という域に達したら、文化的自己家畜化はどのように変化しうるのでしょうか。 熊代 最終的には、精神疾患の有無に関係なく、誰しもがエンハンスメントを行なって社会規範に追いつこうとするような未来が訪れるかもしれません。エンハンスメントとは、「本来は病気や障害の治療のために開発された医学的な技術を、能力向上の手段として用いること」です。 もっとも、すでに私たちは生活にエンハンスメントを取り入れています。日常的にコーヒーやエナジードリンクを飲むという形で、自身の体をコントロールしています。みんなが薬を飲んで体をコントロールする未来は一見ディストピアのように感じますが、すでに始まっているのかもしれません。 ――現代において、性的な多様性の理解や受容は徐々に進んでいるように思えます。一方で、精神疾患などを含む「精神の多様性」は除外されているように感じます。このギャップはどのように克服されうるでしょうか。 熊代 ご指摘のとおり、社会規範を守れる人については、多様な個人のあり方が認められるようになりました。一方で社会規範を守り切れず、そこからこぼれ落ちそうになっている人に対して理解と受容が進んでいるのかは、疑問ですね。