北野武監督最新作『首』レビュー──日本の時代劇映画の娯楽的側面を貪欲に取りこむ意欲作
第76回カンヌ国際映画祭でワールドプレミア上映され、大きな話題を呼んだ「世界のキタノ」の最新作が、11月23日(木・祝)にいよいよ日本公開される。主演のビートたけしをはじめ、西島秀俊、加瀬亮、浅野忠信、大森南朋、小林薫、岸部一徳ら超豪華キャストが集結した本作の見どころを、篠儀直子が解説する。 【写真つきの記事を読む】映画の見どころをチェック!
娯楽時代劇には何が必要か、やっぱり彼にはわかっている
鬼才・北野武が本能寺の変の前後を描く時代劇を撮るとなれば、クエンティン・タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』(2009)や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)みたいな、大胆な歴史改変物が観られるのではとちょっと期待してしまうが、意外にも『首』は、主だった歴史的事件についてはわたしたちの知るとおりに進行していく。北野流の解釈が加わるのは、そうした事件の背後にある、武将たちやその部下たちの人間関係に対してである。 冒頭の2度のワイプ(紙芝居で次の絵が出てくるときのように、画面端から、次の場面の画面がするすると登場する場面転換技法)の使用、および、続く合戦場面の群衆演出を見ると、北野武はいよいよ黒澤明の後継者を引き受ける決心をしたのだろうかと思わされる(北野は晩年の黒澤と何度か対談している)。だが観ていくと、溝口健二の『雨月物語』(1953)そっくりのくだりもあり、かと思いきや1950年代・60年代の東映時代劇のようなケレンもあり、果ては山田風太郎の伝奇小説(ならびにその映画化作品)みたいなシーンまであって、どうやらこの映画は、日本の時代劇映画の伝統と、その娯楽的側面とを全部貪欲に取りこもうとしているかのようである。 そして多くの人がそうだろうと思うが、ここには──北野武が出演者としてその演出に触れた──大島渚の『御法度』(1999)に対する、敬意をこめた挨拶のようなものもなんとなく感じずにはいられない(もしかするとあるいは、時代劇ではないけれど『戦場のメリークリスマス』[1983]に対しても)。なぜかといえば、映画のかなりの部分が、高潔で美しい光秀(西島秀俊)と、狂王・信長(加瀬亮)を中心とする、男たちの愛欲模様をめぐって展開されるからだ。 さて「首」というタイトルが示唆するとおり、この映画は冒頭から斬首のイメージが頻発する。映画が進行するにつれ、身体から切り離された首はどんどんと増えていく。これによってわたしたちは、最初こそショックを受けていたのに、だんだんと斬首行為に慣れていってしまうのだが、それだけでなく物語内でも、いつしか首の価値が──ある種インフレ的なものが起きて──どんどん下がっていってしまうのだ。ここにこの映画作家らしい皮肉な視点とおかしみがある。このおかしみが最大級に爆発するのが、家康(小林薫)の影武者をめぐる一連の描写であり、ラストシーンにおいてこの主題は見事にスパーンと締めくくられる。 いま「おかしみ」と書いたが、重厚なシーンを重厚に演出している一方で、笑えるシーンがかなり多いのもこの作品の特徴だ。秀吉(ビートたけし)と弟の秀長(大森南朋)、黒田官兵衛(浅野忠信)の3人による、「全部アドリブなのでは?」と思わせるやり取りは、毎回相当可笑しい(実際かなりの部分がアドリブだったようだ)。となれば、木村祐一演じる「抜け忍」の曽呂利新左衛門も、お笑いパートを担うキャラクターなのだろうとこちらは予測するのだけれど、そして実際この人物は劇中でも「芸人」なのだけれど、彼はユーモラスな言動をするだけでなく、トリックスターとして自在に動き回る非常に重要な役でもある。 ほかにも、いまどきこんな豪華な顔触れがありうるのだろうかというぐらいの出演陣(こういうところもかつての東映時代劇っぽい)が揃い、こんなに揃えてどうするんだと思いそうになるのだが、北野監督は、一人ひとりにきっちり見せ場を用意している。娯楽時代劇には何が必要か、やっぱり彼にはわかっているのである。 『首』 11月23日(木・祝)全国公開! 配給:東宝 KADOKAWA ©2023 KADOKAWA ⓒT.N GON Co.,Ltd. 公式ホームページ:https://movies.kadokawa.co.jp/kubi/ 篠儀直子(しのぎ なおこ) 翻訳者。映画批評も手がける。翻訳書は『フレッド・アステア自伝』『エドワード・ヤン』(以上青土社)『ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル』(DU BOOKS)『SF映画のタイポグラフィとデザイン』(フィルムアート社)『切り裂きジャックに殺されたのは誰か』(青土社)など。 編集・横山芙美(GQ)