ハリウッドザコシショウが自腹で地上波放送枠を買って特番制作 “テレビで放送できる限界”に挑む「待っていてもできないなら、第一歩は自分でやろう」<提供ハリウッドザコシショウ>
ハリウッドザコシショウが自腹で放送枠を買い取り、制作費も全額出資した特別番組『提供ハリウッドザコシショウ』(12月30日(土)深夜1:00~1:55、テレビ神奈川)。「とにかく自分がやりたかったことを色々やる」をメインコンセプトに、スポンサー・プロデューサー・構成・主役までをすべて自らが務め上げ、CMなしブチ抜きの純粋な“ザコシ”ワールドの55分間が繰り広げられる。今回はハリウッドザコシショウに番組の制作の裏側、テレビ番組への思いなどを直撃インタビュー。 【写真】放送前に少しだけ先行公開「提供ハリウッドザコシショウ」の番組カット集 ■純度100%の番組を作りたいという気持ちは常にあった ――どのような経緯で冠番組をテレビ神奈川で放送するようになったのですか? テレビの冠番組をずっとやりたくて、どうやったらできるか模索していたんです。最初はCS局と話をしたら折り合いが付かず、では独立U局や地方局はどうかと話していると、「スポンサーがつかないからムリ」と言われて。だったら僕がスポンサーになろうと。 ――それで、『提供ハリウッドザコシショウ』が生まれたんですね。今回、「車1台買うくらいなら好きな番組を1本作りたい」とおっしゃったとのことですが…。 CMのギャラや『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』(Amazon Prime Video)での優勝賞金など、それなりのお金をもらったけどあまり使い道がないんです。車も高級時計も高級革ジャンも興味ないですし。自分のYouTubeをやっているので機材や自宅の地下にスタジオを作るために家を建てたりはしたんですが、それでも普通の芸能人ほど使ってないはず。それなら、意味のある使い方をしたいと思って、“自分の本当にしたいことをする番組”を作ることにしました。 あと正直言って、令和の時代、僕がやりたいようなテレビのギリを狙う番組を一緒にやりましょうって言う人はなかなかいない。なので、待っていてもできないなら第一歩は自分でやろうと思いました。 ――昔から冠番組を持ちたいと思っていたのですか? 芸人になったときから頭にありました。それこそ松本人志さんの『一人ごっつ』(’96~’97年、フジテレビ系)みたいな番組をずっとやりたくて。そもそもは『笑点』の前の15分枠でやっていたとんねるずさんの『コラーッ!とんねるず』(’85~’89年)、ウッチャンナンチャンさんの『ウッチャンナンチャン』(’89~’90年、共に日本テレビ系)という番組が学生時代にすごく好きだったんですよ。なんかやりたい放題やっている番組ですごく楽しそうで。そういう自分が楽しいと思うものができる、純度100%の番組を作りたいという気持ちは常にありました。 ――今は昔と比べてテレビは色々制約が多いですがそれでもテレビなんですか? 僕は、テレビで放送するギリギリを突っついていきたいんです。その方が絶対に話題になるし、僕が学生だったら絶対にファンになるから。僕らって昔の(ビート)たけしさんや(明石家)さんまさん、(笑福亭)鶴瓶さんの番組を見て育っているから、どうしたってぬるま湯みたいなバラエティーはやりたくない。正直、今でも深夜番組はもっとガンガンに攻めてもいい気がします。見る人が限られているので。昔、僕らが経験したように、深夜に偶然見た、なんか強烈な番組を今でも覚えている…みたいなことをやりたいんです。 ■YouTubeとテレビでは価値が違う ――今回は、局と放送できるラインの調整をしましたか? もちろん確認しました。2、3度はしたかな。この表現は厳しいのでこうしてくださいとか。その辺は局によって違うらしく、その範囲内で何ができるかを考えながら作っています。よく、「本当にやりたいことがあるならYouTubeでやったら?」と言う人もいますが、やっぱりテレビとは違うんです。YouTubeは誰でもやろうと思えばできちゃうというか。その点テレビはできない。僕だって今回、放送枠を買ってやっとできるんですから。個人的に価値が違うと思います。 ――改めて自分でイチから番組を作っていかがでしたか? 大変でした。例えばゲームをするにしても権利を取らなきゃいけないし、それが海外の作品なら海外に連絡しなきゃダメだし…。あとはやっぱりお金。スポンサーという意味では、深夜に広告を打つ企業ってすごいなって改めて思いました。ゴールデンタイムとは違って誰が見ているかわからない番組に何百万円とか払うわけですから。あと制作費って意味合いでいくと、ディレクターや技術などスタッフの人件費ももちろんだし、スタジオ代、あとは僕のギャラも自分で払って…。一つの番組を作るって本当にお金がかかると知りました。 ――そんな苦労して制作した番組の手応えはいかがですか? マジで全部面白いです。ディレクターのセンスがいいんです。これまで僕のYouTubeやDVDをやってくれているディレクターなんですが、何と言っても編集が上手い。ダサいディレクターだと同じ素材を渡してもバカつまんなくされることがあるんです。そうなったらたまらないですよ。収録とかでもすごく良かったと思っていざオンエアを見たら、全然おもしろくなくされているなんてこともよくあるので。これ、実は昔そういうことをされて今もトラウマになっているんです。なので今でも自分の番組はあまり見られない。でも、今回の番組は最初から最後まで全部見たいです。 ――信用できるスタッフと一緒に番組が作れるというのは、自らスポンサー・プロデューサー・構成・主役を務めるこの番組ならではなんですね。 普通の番組だとディレクターを選べないですから。まあでも全部が全部そんなことができるとは思ってないですから。1個だけでも僕が信用できるスタッフと自分がやりたいことができる番組ができればいいなと思っているくらいで。それが、1カ月のうち1個とか増えていけばいいなとは思っていますが。 ■脳内のものを出し切った ――番組の内容は言えないと思いますが少しだけ教えていただけますか? 今は見てほしいとしか言えないです。スタジオとロケ両方でここでしかできないことを追求しています。家族も出ていますが、この企画ならこの人が向いているという人にオファーをかけています。基本、僕が主体です。自分の脳内のものを全部出したみたいな感じ。ただ脳内のものを出し切ったので、今は頭の中ゼロなんです。毎日、YouTubeを撮っているんですけど、今、何を撮ったらいいかわからない状態(笑)。この番組が今、僕の一番オススメできるものです。 ――ザコシさんのことを師匠と慕う“ハリウッド軍団”のメンバーも出るのですか? どうですかね。ただ、“ハリウッド軍団”のオリジナルメンバーと言われる芸人は、僕が生きている間にギリ食えないくらいまでには引き上げたいという思いはあります。錦鯉、バイきんぐは売れたので、あとはキャプテン渡辺、だーりんず、ジャック豆山、虹の黄昏、ゆっくんちゃん、桐野安生、チャーミング…このあたりまでは手を差し伸べていけたら。彼らは、僕がつらいときに師匠と言っていろんなことに協力してもらったのでその恩返しができれば…。1人だったら僕はここまで来られていないので。軍団があってこその僕、今の芸能生活だと思います。孤独じゃ売れないですよ。 ――皆さんと会う前は孤独だったんですか? 孤独でした。大阪から出てきてコンビを解散して誰も友達がいなくて。しょんぼりしていたらロビンフットがSMAに誘ってくれて。そこからですよ、もう一回気持ちに火が付いたのは。そんな僕のピンの黎明期というかそういう時代を支えてくれたのがオリジナルメンバーなので。こうやって自分の番組ができるようになると少しはそういうヤツに助け船を出せれるし、僕の芸能生活ももっと楽しくなる。こういう番組はこれからも続けていきたいです。 ■コンプラが青天井だった時代の予測不可能な感じを意識しています ――この番組を作る上で意識した番組はありますか? 以前、インタビューした際、『東京イエローページ』(’89~’90年、TBS系)の竹中直人さんを見て、こういうことをやりたいと思ったとおっしゃっていましたが…。 あの番組くらい、衝撃あるものになっているといいですね。ただ、『東京イエローページ』を放送していたときは、コンプラ(コンプライアンス)は今よりも青天井だったので、そういう意味ではなかなか勝てない。あの番組はすごいリアルなんですよ。竹中さんが楽しそうに笑って話していたと思ったら、次の瞬間にめちゃくちゃ怒ってるとか。見たことないけど実際にありそうな狂気が僕にめちゃくちゃ刺さりました。今回も、そういうところは少し意識しています。予測不可能というか…。 ――見た人が忘れられない番組になりそうですね。 そうなると思います。偶然見た人も、「何をやってるんだ?」とその後も見続けるパワーがあるはず。そしてこの番組を見て、面白いことをしたいと思ってくれる人が生まれるといいなと。今の若手芸人の芸風を見ると、コンプラが壊れたようなバラエティー番組がなくなってきたからかみんなスマートなんです。それに比べて、僕はいびつなものを見てきたからこんな芸風で(笑)。芸人の芸の幅を広げるためにも、こういう変な番組は続けていかなきゃと思います。 ■50歳を目前に環境も変わってきた ――2024年で50歳を迎えますが、変わってきたと感じることはありますか? 今年、自分の番組がなんかすごく多くできたんですよ。スポーツ番組の『ザコシ倶楽部』(CSスカイA)、情報番組の『Powered by TV~元気ジャパン~』(TOKYO MXテレビ)、『すみっこオカルト研究所』(エンタメ~テレ)、あとCBCで数分間の番組『ザコシ乱入』を期間限定でやったりとか…。これらをもっと大きく、末永くという気持ちはあります。 あと、この辺の番組もですが、MCを任されることが最近増えてきて。これまでの“あの芸風だからトークはできねぇ”というイメージが少しずつ取れてきたんだと思います。だって、『トークィーンズ』(フジテレビ系)に出た後、めちゃくちゃトーク番組のオファーがきましたから。これまで何やと思ってたんやろ(笑)。急にトークがええやんええやんって言われてきて。こうやってイメージって変わっていくものなのかと思いました。自分自身はそんなに昔から変わってないんですけど。 ――昔から同じ芸風でやってきて、周りの目が変わったと思った瞬間はありますか? やっぱり『R-1グランプリ』(フジテレビ系)の優勝(’16年、当時は『R-1ぐらんぷり』)ですね。あれがないと今回の番組もないし『ドキュメンタル』もない。優勝してやっとスタート地点に立てた気がします。 ――今年、何度もされた質問だと思いますが、『R-1グランプリ』には夢があると思いますか? ありますよ。スタート地点に立てる切符をもらえるわけですから。その切符を持って、芸能界を1周する列車に乗る。そこで活躍できるかできないかは自分次第で、そこで活躍するための技術は必要。だから僕は、早めに優勝しちゃうのはあまりよくないと思っていて。色々な経験を積んでわかっている状態で1周する方がいいに決まっていますから。次から芸歴制限がなくなったのは個人的にはよかったと思っています。まあ自分の好きな芸を突き詰めるだけですけど。 ――改めて、この冠番組は今後どうしていきたいですか? 30分番組にして1クールとなると、かなりお金がかかるんです。なので、今回の形で続けるなら、年に1度の1時間の恒例番組とかでもいいのかもしれないです。そのためにも、ぜひ隅から隅まで見逃さずに見て欲しい。あと、TVerとかの配信では今回見られないので、見られる地域の人は録画して、見られない地域の人は見られる地域の人に連絡を取って昔みたいに送ってもらって見て頂きたいです。年末、この番組を見て頭がくらくらしてもらえたら。31日は頭をボーッとしたまま過ごして、正月を迎える。そんな“笑ってはいけない”シリーズ(日本テレビ系)ではないけど、年末の風物詩になるよう多くの人に見てもらいたいです。 取材・文=玉置晴子