<万里一空・彦根総合23センバツ>/2 練習没頭、秋へ手応え 専用グラウンドで投打向上 /滋賀
シード校になりながらも昨夏の選手権滋賀大会の初戦で姿を消した彦根総合。センバツ準優勝の近江が甲子園で活躍する中、選手たちは悔しさを胸に翌春のセンバツ出場校選考の重要な資料となる秋季県大会に向け夏練習をスタートさせた。 ちょうどその頃、両翼100メートル、中堅120メートルの野球部専用の「松隆グラウンド」(米原市)が使用できるようになった。宮崎裕也監督(61)は心はやる選手たちに「心からきれいにしろ」と諭し、グラウンドの草むしりからスタートさせた。 自分たちの手で整えたグラウンドを本格的に使えるようになると、夏練習のメニューは厳しさを増した。1日1000本の素振りに始まり、ゲームノックや連係プレー、紅白戦など、これまで他の部と共用していた両翼60メートルの狭いグラウンドではできなかった密度の濃い練習を毎日午前9時から午後7時まで続ける。時には熱が入り、昼食が午後3時を過ぎることもあった。山田光義コーチ(66)は「夏は疲れる時間がないほど練習に明け暮れた。まさに勝負の夏だった」と話す。 田代奏仁選手(2年)は「広いグラウンドで自分の打球がどれだけ飛ぶのかを知ることができたことが大きかった」。森田櫂選手(同)も「場面ごとの打ち方を考えるようになった。エンドランやサインプレー、カットプレーの練習もできるようになった」と練習の質の向上を実感。投手陣も打者と実戦形式で向き合うことができ、勝田新一朗投手(同)は「配球を考えながら投げられるようになった」という。 グラウンドは学校から約5キロ離れており、自転車でも約20分掛かる。この移動がウオーミングアップとなり、球場ですぐにボールを使った練習に入ることができた。武元駿希投手(同)は「投打ともにレベルアップできたのはグラウンドのおかげ」と感謝する。 並行して練習試合も例年の倍の数を行い、試合勘を身に付けた。その結果、夏休み期間中の練習試合70試合で負けたのは1試合とチームは秋の戦いに向け手応えをつかみつつあった。 これまでにない厳しい練習を選手たちに課した宮崎監督にも新チームでの秋にかける特別な思いがあった。 宮崎監督が同校にやってきたのは2020年4月。19年に野球部の改革に取り組むことを決めた同校が、キーマンとして白羽の矢を立てたのが県立北大津高を6回甲子園に導いた名将だった。 当時、宮崎監督は県立安曇川高で勤務していたが、野球の指導からは離れていた。彦根総合の松本隆理事長(78)は「野球の世界ですごい人だと聞いた。ぜひ来てほしい」と直談判したが宮崎監督は首を横に振った。「定年間近になり、野球への自信や情熱が持てなかった」と振り返る。 それでも松本理事長は「宮崎さんしかあかん」と何度も自宅を訪れ、メールも送り続けた。その熱意に宮崎監督は「この人に付いていけば何か燃えるものがあるのかもしれない」と根負けし、応じることを決めた。 そして着任式で「3年で甲子園に行きます」と宣言。ここから野球部の改革が始まった。【飯塚りりん】=つづく