長野の「五郎兵衛用水」が世界かんがい施設遺産に 各地の開削への影響評価
国際かんがい排水委員会(ICID)は先月、長野県佐久市の「五郎兵衛(ごろべえ)用水」を世界かんがい施設遺産として登録することを決めました。五郎兵衛用水は江戸時代初期に新田開発者の市川五郎兵衛が私財を投げ打って開削した用水路。稲作に不適な土地を大規模なかんがい農地に変えて飢餓を救い、各地の用水開削に弾みを付けた社会的な影響が評価されました。
江戸時代、用水で地域を飢餓から救う
8月13日にカナダ・サスカトゥーンで開いたICIDの国際執行理事会で、五郎兵衛用水の登録を決定。関連の登録は国内で35施設、長野県内で3施設目になります。 五郎兵衛用水は1631年まで数年かけて開削。蓼科山(たてしなやま)の湧き水を水源として、トンネルや水路橋、盛り土(築堰=つきせぎ)などの工法を駆使し、建造時は総延長約20キロメートルに及びました。かんがい面積は416ヘクタール。現在は五郎兵衛用水土地改良区が管理し、今も利用している総延長は13.3キロメートル。 一帯は旧浅科(あさしな)村地域で、現地にある佐久市五郎兵衛記念館の館長でICIDへの登録申請に携わった根澤茂館長(65)によると、「開削以前の地域は災害と戦乱で農地が荒廃。飢餓や家族離散など悲惨な状況だった」。市川五郎兵衛は地域の復興を目的に用水開削に着手したと言います。
開削工事では当時の住民の知恵も参考に、土地の高低差を克服する高盛り土工法による築堰や、灌(かん)木、土などを交互に積み重ねて強度を持たせる軟弱地盤対策(現代のジオテキスタイル工法)、真綿を使って水の流れを可視化し漏水の発見、対策をする現代のグラウド工法など最先端の技術を駆使しました。 これらの技術は、その後地域に広がった40以上の用水開削で採用され、かんがい面積は五郎兵衛用水開削時の2倍近い870ヘクタールまで広がり、地域に大きな影響を与えました。根澤館長は「五郎兵衛用水が与えた地域を変える影響力がICIDの評価につながったと思う」と話しています。 用水開削で新しい村ができ、当時の住民たちは「用水普請(ぶしん)」と呼ばれる自発的な用水の維持管理補修作業に従事。また「山普請」という水源涵養(かんよう)林の保全活動で4500ヘクタールの山林を維持してきました。 稲作が盛んになったことで、現在では収穫する米が「五郎兵衛米」のブランドで広く流通しています。 根澤館長は「先人のこうした取り組みはあまり知られていない。今回の登録を機に、さらに次の世代にしっかり伝えていきたい」と話しています。
--------------------------------- ■高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者・編集者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説