自作の“脚”で走りたい 初出場の義足ランナー 長崎県勢・吉原 全国障害者スポーツ大会
義足ランナーの吉原晃一(36)は、オーダーメードの義肢や装具を手がける地場企業「長崎かなえ(長崎市)」の社員として自らも製品作りに携わる。「同じような境遇の人が興味を持ったり、スポーツを始めるきっかけになればうれしい」と願って全国障害者スポーツ大会に初出場する。 「ブレード(板バネ付きの競技用義足)の履き心地って、本当に良くてびっくりするんです」 本番を翌週に控えた日曜の朝、長崎市営陸上競技場。金属製の義足を装着しながら吉原がつぶやいた。今大会に向けて新調した、より反発の大きなモデルだ。 準備が整い、トラックの直線を軽く流す。一流選手のようなバネを生む自身の“右脚”に、思わず白い歯がこぼれた。「やっぱり、すごく弾む」 長崎市出身。先天性の腓骨(ひこつ)欠損で、生まれつき右脚に力が入らなかった。左手の指も1本、欠けている。9歳の時、主治医から「義足にすればスポーツもできるようになるよ」と促されて太ももから下を切断。周囲からの奇異の目に疲れ、自宅にこもった時期もあったが、中学、高校と続けた車いすバスケットボールは楽しかった。 鳴滝高定時制を卒業後、飲食業を転々とした。立ち仕事は義足生活にこたえる。そんなころ、患者として通っていた長崎かなえの求人が目に留まった。2020年12月、32歳で転職。発注内容を基に素材を切ったり、組み立てたりして四肢の装具を作る工程は今も楽しい。 競技用義足との出合いも、職場のつながりから生まれた。コロナ禍のころ、先輩に誘われて「切断者スポーツクラブ」の活動に参加。初めてブレード付きの義足をつけて衝撃を受けた。「これが自分の脚になったらどんなに楽しいだろう」。興味をかき立てられた。 昨年10月、東京で開かれたランニング講習会でパラリンピアンに教わり、今年5月には長崎県障害者スポーツ大会に初出場。義足ランナーが珍しいこともあり、そのまま全国大会の県代表に選出された。「僕なんて、まだそんなレベルにない」。一度は返事を保留したが、会社の仲間や昨年結婚した妻の後押しが決め手となった。 27日の100メートルとソフトボール投げに出場する。すぐにいい結果が出るとは思っていない。でも、新しいことにチャレンジする高揚感が心地よい。「いつか自分で作った義足を履いて、走るのが今の目標です」。思い描く理想の“脚”で、思いのまま走るために。今大会は夢への第一歩だ。