M-1優勝直前に芸人廃業考えていた アンタ山崎弘也 給料の相談までした新たな職業が仰天「そっちはそっちで楽しかった」
お笑いコンビ、アンタッチャブルの山崎弘也が20日放送のテレビ朝日「預言者バラエティー アンタウォッチマン」で、過去に芸人を辞めようと思ったことがあると告白。新たに就こうと思っていた仰天の仕事も語った。 この日のゲストは昨年のM-1グランプリで準優勝に輝いたヤーレンズ。しかし芸人人生は順風満帆ではなかったことを番組で明かした。M-1はこれまで準々決勝止まり。周囲の芸人が賞レースで結果を出す中で、一度は引退を決断したという。それを先輩に引き留められ、ついには結果を出していった。 司会のサンドウィッチマンから「辞めようと思ったはないんですか?」と聞かれたアンタッチャブルは、柴田英嗣が「おれはないけど、山崎はある」と認めた。 山崎は「ボクはちょっと、有田さんの運転手で生きていこうかなと思ったのが2003年」とくりぃむしちゅー有田哲平のドライバーになるつもりだったと話した。柴田にも言わずに決断。「本決まりじゃなかったけど、ゆくゆく相談しようかなと」と話すと、柴田は「ギリだよ。金額の相談もしてて、仮で決まっていたんだから」と芸人引退寸前だったことを語った。 山崎は「楽しかったのよ。そっちはそっちで」と笑顔で振り返った。その事件が起きた2003年、アンタッチャブルはM-1で敗者復活戦を勝ち上がり、決勝3位。翌2004年に優勝する。