【独占インタビュー】「次の総理」候補に急浮上したダークホース齋藤健!尊敬するのは「東京駅で暗殺されたあの政治家」
「総裁選をめざす決心をした」8月23日、経済産業大臣の齋藤健氏(65歳)が自民党総裁選の出馬へ意欲を示した。東京大学経済学部を卒業後は通産省(現・経産省)に入省、ハーバード大大学院で修士号を取得。課長職や埼玉県の副知事を務めた後、政界へ打って出た。 【当落一覧】次の総選挙で「落選する議員」の全実名はこちら! 永田町では自民党随一の政策通として知られており実務能力に定評があるが、世間一般に名前が知れ渡っているとは言い難い。いったいどのような人物なのかーー齋藤氏本人に尊敬する政治家を聞いて、その人柄に迫った。
歴史を動かした「天才政治家」
天才だと思う政治家は誰かというご質問でしたね。私は立憲政友会第3代総裁にして、第19代内閣総理大臣(1918~1921年)の原敬をおいて他にいないと思います。「平民宰相」と呼ばれ、多くの国民に慕われました。 歴史の大きなうねりの中で、一人の人間ができることは限られている――そう言われることはよくあります。しかし原の足跡をたどると、一人の広い視野を持つトップエリートの徹底した努力が、歴史を大きく動かすことがありうると感じずにはいられません。 原が成し遂げたもっとも大きなことは、国民に選ばれた政府を作ったということでしょう。立憲民主制の礎を本気で築いた人です。 当時は山縣有朋を頂点として圧倒的な力を持つ「薩長藩閥」が政府を牛耳っていました。山縣らは選挙で選ばれた人間を重用すれば国を過(あやま)つとして、官僚・役人を重用する「有司専制」を主張していました。
山縣有朋もその器量に感服した
一方の原は南部藩出身で、維新で倒れた側です。そこで政党をバックに果敢に政治の構造改革に挑戦しました。原は総理に就任すると、陸海外三相以外の閣僚をすべて政党・立憲政友会の会員から専任して、世間をアッと驚かせました。薩長藩閥の既得権益を壊し、国民に選ばれた政党がリーダーシップを発揮する政治を実現したのです。 また国際感覚にすぐれた人でもありました。当時、山縣らを中心とする元老たちは、日露提携を軸にして英米等に対抗し、国際社会の中で勢力拡大を図ろうとしていました。ところが1917年にロシア革命が起こり、日本は、日露という外交の基軸を失ってしまいます。 そこで原が目をつけたのがアメリカでした。アメリカが新しい勢力として台頭することを洞察し、一貫して対米強調を追求したのです。1890年代初頭にすでに、アメリカの力というものを正確に把握していたわけです。 また対中国政策では、それまでの帝国主義的な権益拡張主義を時代遅れだとして、むしろビジネス的な観点で、中国を市場と見て産業競争力で列強との競争に立ち向かおうとしました。 原の不思議なところはそのように「軍」の代表でもある山縣と対立しながら、その山縣から一目置かれていたところでしょう。原は山縣をして、「人格と云いやり口と云い、実に立派なものである」とさえ言わしめているのです。 なぜ原はこれだけのことを成し遂げられたのか。それは何事も自分の目で見ることを重視したからだと思います。それは彼の人生を振り返ってみるとよくわかります。