大阪・吉村知事の「ノースーツ宣言」で大注目 自治体の「服装自由化」とNGファッション
ただ、どんな見た目なら受け入れられるのかイメージできるようサンプルの服装を実際に職員が着た記者発表も行った。
こうした服装の自由化が浸透する背景には、クールビズ、ウォームビズの定着もある。11月から軽装を通年化した大阪市の担当者は「何も呼びかけがない期間が2カ月しかなかった」と説明する。昨今の気候変動もあいまって、気温に合わせた服装の呼びかけがない月は4月と11月だけになっていたという。
■実は関西発祥の文化
実はクールビズの原点ともいえる取り組みは関西発祥だ。官民でつくる関西広域連携協議会が平成11年、冷房の適正温度と軽装化を呼びかけた「関西夏のエコスタイル・キャンペーン」で、ノーネクタイとノージャケットを推進した。
それから四半世紀。スーツから脱却する社会の流れが浸透してきているが、文化学園大の田中里尚(のりなお)教授(服装文化史)は「スーツは必ずしも押し付けではなかった」と指摘する。
戦後の日本社会において、詰め襟だった礼服や軍服に対し、襟が開いたスーツは民主的で開明的なイメージで受け入れられた。「一着あれば着回しができ、着こなしも慣れれば容易で、利便性が高い。社会的立場や地位も表せる効率的な服装だった」と説明する。
最善の選択肢だったため、スーツは文化として根付いた。だが「定着する過程にいなかった世代にとっては規範として作用していった」という。
それだけ強固になっていたスーツ文化からの脱却。田中教授は「服装の自由化を別の規範と感じるようにならないよう、世代をまたいでも共通認識を伝えていくことが大切だ」と語った。(藤谷茂樹)