「台湾有事」と軽々に言うなかれ 日本は壊滅的打撃を受ける
元外務審議官の田中均氏は毎日新聞政治プレミアに寄稿した。 「台湾有事は日本有事と叫び、中国と敵対するような雰囲気を高め、中国を阻害しようとすることは結果的には日本の国益に資するものではない」と語った。 【写真】中国人民解放軍を閲兵する習近平国家主席 ◇ ◇ ◇ ◇ 日本に駐在する呉江浩・中国大使が台湾問題は中国の核心的利益であり、日本が分断に加担すれば「日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる」と発言した。 このような日本に対する威嚇的発言は、日本に駐在する外交官として常軌を逸しており、大使としての信頼を失った。 ただ台湾問題を巡っては、日本の政治家やメディアが「台湾有事は日本有事」と繰り返すことにも大きな問題がある。 台湾周辺で有事的事態になれば日本に甚大な被害を与えることは想像に難くないが、「日本有事」と言いきることは日米安全保障条約5条事態で日本が攻撃にさらされ、日米が共同行動をとるという事態を指すわけで、戦争に入ることを意味する。 これはどうしても避けなければいけない事態であり、国民の生命財産を守る立場にある政治家が軽々しく口にできる言葉ではない。 おそらくいくつかの目的で発せられている言葉なのだろう。第一には中国へのけん制であり、同時に民主主義体制である台湾に寄り添う気持ちの表れなのだろう。とりわけ知台派の人たちの発言にかいま見られる。しかし台湾の人々の多数は現状維持を望んでいるわけであり、台湾海峡での戦争を好むわけがない。 また、中国に対するけん制として意味をなすためには日本が米国とともに戦うという大前提がなければならないが、中国が台湾統一のために武力行使をする場合に米国が必ず軍事介入をすると思うのはあまりに短絡的だ。 第二には日本の防衛力の飛躍的拡充を果たすための世論づくりという面が強い。岸田文雄首相の「今日のウクライナは明日の東アジア」発言に始まり、2027年までに防衛費を国内総生産(GDP)比2%に引き上げる決定に至ったわけであり、軍事、軍事の威勢のよい発言が市民権を得る結果となった。台湾有事は日本の命運を決する重大事であり、もう少し冷静、客観的に考えてみる必要があるのだろう。 ◇中国は台湾統一に走るのだろうか 習近平総書記の掲げる「中国の夢」は中華人民共和国創建100年の2049年までに社会主義を維持したまま米国に並ぶ豊かな強国となるとともに、国土を統一するという概念を含むものだ。 習氏は慣例を破り3期目に入っているが、3期目が終わる27年が一つの節目とも言われる。中国は27年ごろまでに周辺で米台との関係で軍事的優位を確立すると予測する軍事専門家も多い。 台湾総統選挙は従来、独立色が強いと言われてきた民進党・頼清徳氏の勝利に終わり、28年まで任期が続く。議会で民進党が少数政党でもあり、独立に向けた動きを進めるとは考えにくいが、いずれにせよ中国は軍事的な圧力をかけ続けるのだろう。 習氏がいつ台湾統一に踏み切るのかは内外の環境次第だろう。今日、中国経済は大きな曲がり角にあると見られ、不動産不況、若年層の高い失業率、消費需要の落ち込みなどデフレに向かう要素も強く、果たして今後どれだけ5%程度の高い成長目標値を続けられるのだろうか。 成長率が大幅に減速する事態となれば習政権の安定にも疑問符が付くのだろう。 政権が求心力を持つためにナショナリズムをあおる状況もありうるのだろう。台湾統一に向けての軍事的行動は一つの選択肢となりうるのだろう。 しかし、経済成長を順調に維持できれば、政権はむしろ米国をはじめ国際社会を敵に回して経済制裁の対象となるような行動には踏み出さないと見るのが自然だ。中国はロシアとの本格的な連携が対米戦略上も役に立つと考えているにしても、経済制裁を受けそうな対露軍事支援には向かわないだろう。 ◇米国は軍事介入するのだろうか バイデン米政権が続く限り、バイデン大統領が何度も明言する通り、中国が台湾の軍事統一に向けて動き出せば軍事介入するだろう。 しかしその場合、双方が核戦争の危険を冒して全面的な戦争となるとは考えられない。 台湾海峡地域の限定的な軍事衝突だとしても、米軍は沖縄やフィリピンの基地から戦闘作戦行動に出るのだろうし、日本が安保条約交換公文に従った事前協議でノーということは難しい。限定的戦争であったとしても、日本は好むと好まざるとにかかわらず戦争に巻き込まれていくことになる。 本年11月の米大統領選挙でトランプ前大統領が勝利する事態となれば、米国の軍事介入の可能性は大きく下がることになるだろう。実際介入するかどうかは別として、トランプ氏は西側指導者の責任論より米国にとっての利益を論じているわけで、米国の対中抑止力は後退せざるをえないことになる。 これは台湾有事に限られたわけではないが、ウクライナについてもイスラエル・パレスチナ紛争についても大義を守るというより米国にとっての利益を第一に考える傾向が強くなるのだろう。 中国の台湾軍事行動に対して米国が介入しないというのは、単に台湾統一に手をこまねいて見守るということだけにとどまらず、アジア太平洋の守護神としての立場を大きく損ねる結果となり、前方展開兵力を含む米国の安保戦略が音を立てて崩れることになる。 ◇日本はどうすべきなのだろうか 中国が軍事行動を起こす蓋然性(がいぜんせい)は存在し、米国がどう反応するかは政権によるだろうし、仮に介入する場合でも米中の全面戦争とはならず台湾海峡周辺での限定的な戦争となる可能性の方が高い。 いずれにせよ日本にとって被害甚大なシナリオだ。日本の死傷者の数は膨大となるだろう。中台との貿易が途絶し、さらには台湾周辺の海上輸送路が封鎖され、海上輸送コストが高騰する結果、日本経済が被る損失は壊滅的だ。 もちろん、備えがあるに越したことはなく、沖縄離島住民の沖縄本島への避難計画や、海上保安庁の大型輸送船の建造などは危機管理として正当化されるだろう。 防衛能力の拡大や米軍との包括的抑止力を強化することも重要だ。しかし、より重要なのは中国を台湾の軍事的統一に走らせないような外交アプローチだ。 そのために必要なのは既に存在する安全保障対話を活性化し、軍事の透明性を担保し、信頼醸成を進めることだ。同時に米国の後追いではない積極的な中国関与政策だ。 米国は中国の急速な台頭を見て、自由貿易から経済安全保障に政策基盤を移し、国家安全保障を担保する名目で中国に高い関税をかけ、ハイテクの貿易・投資を制限する。 機微な技術製品など日本がこれに同調すべき場合は当然あるが、他方、貿易・投資面で中国を積極的に巻き込み、ルールに従った貿易投資交流の重要性を中国に認識させることも必要ではないか。 日本は安保面では米国との統合的抑止を強化しつつ、経済面ではむしろ中国に積極的に関与する政策をとるべきではないか。中国にとって日本との関係を損なうことが自国の成長を大きく阻害するという実態を作ることが日本の重要な抑止力となる。 このような観点から、日中韓や東南アジア諸国連合(ASEAN)などが参加する地域的な包括的経済連携(RCEP)の活性化や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への中国加入に道を開くべきではないか。 台湾有事は日本有事と叫び、中国と敵対するような雰囲気を高め、中国を阻害しようとすることは結果的には日本の国益に資するものではない。冷静に考えていくべきだ。