なぜ岡山に「ブラジル」テーマの遊園地? 「カオス」「クセすご」と話題 型破りな「仕掛け」で愛され53年
「カオスすぎる」「クセがすごい」として、たびたびテレビやSNSで話題になる「ブラジル」をテーマにした遊園地・鷲羽山ハイランド (岡山県倉敷市)。独自路線と、型破りな「仕掛け」で来園者を楽しませ、開園から半世紀以上たった今もなお、愛され続けている。そもそも、どうして岡山で「ブラジル」なのか―。人気の理由とともに探ってみた。 【写真】鷲羽山ハイランドを全国区に押し上げたバルジアさんはこちら サンバの陽気なリズムに乗って、きらびやかな衣装のブラジル人ダンサーが来園者を迎える「鷲羽山ハイランド」。とびっきりの笑顔と底抜けの明るさで、岡山にいながらも「地球の裏側」にいざなってくれる。 その始まりはちょっと意外。もともとはドライブインだったという。鷲羽山スカイライン(現・県道鷲羽山公園線)の開通(1970年)を受け、翌年の1971年8月にオープンした。その後、ボウリング場が開設され、1973年にはジェットコースターや観覧車、展望タワーといった遊園地らしいアトラクションが加わった。その流れから、「ブラジル」には結びつきそうにない。運営する鷲羽観光開発(倉敷市)の広報担当者によると、その理由は創業者の永山久さん(故人)にあるという。 永山さんはとにかく新しいものと放浪が好きで、常に楽しいものを探していたそうだ。ある時、ブラジルを訪れ、リオのカーニバルに感銘を受けた永山さん。なんと約30人が所属する一つのチームを丸ごと岡山に連れて帰ってしまったのだという。ポルトガル語が話せない中で、どうやって交渉したのかは謎だが、「パッションで通じ合えたのでは」(広報担当者)と推測する。 1987年にブラジルショー公演がスタート。当時の山陽新聞によると「サンバチームは、平均年齢二十歳の女性ダンサー十八人とバンドの男性六人の二十四人」「モデル、女優の卵たちでサンバ学校に通う彼女ら」とある。ショーについては「思い思いの手作りのエキゾチックなコスチュームで強烈なサンバのリズムとボーカルにのってステージいっぱいにダイナミックな踊りでリオの興奮を再現」「陽気で根っからの踊り好きの彼女らは、休憩時間もステップを踏み、ショーでは、笑顔を振りまきながら客席を回り、恥ずかしそうな子供らに覚えたての日本語でダンスに誘う」と書かれていた。 新たな魅力となったサンバチームを軸に、その後も鷲羽山ハイランドは次々と仕掛けた。サーカステントの建設(1992年)、バンジージャンプ(1995年)や、後ろ向きに走行するジェットコースター「バックナンジャー」(1998年)の導入と、来園者を飽きさせない工夫をしてきた。 ギネス記録にも挑戦。「後ろ向きコースター(バックナンジャー)に乗り続ける」「サンバを踊り続ける」といったユニークなイベントを開催したこともあった。奇抜さを狙いすぎてボツになったアイデアもある。「ロックバンド『back number』にバックナンジャーに乗ってもらう」「園内に会員制大型スーパー『コストコ』を誘致する」といった提案は、さすがに現実的でないと却下されたという。 2006年から正式名称を「ブラジリアンパーク 鷲羽山ハイランド」と改め、ブラジル推しの遊園地へ本格的に舵を切った。熱帯の植物やカラフルな装飾を施したほか、デリカフェの名前を「ジャネイロ」にするなどの演出をした。 鷲羽山ハイランドを「全国区」に押し上げた人物がいる。35年にわたり、サンバチームをリーダーとして引っ張るバルジア・アマラウさんだ。「優しくて、人を楽しませることが好きなエンターテイナー」(広報担当者)として活躍してきた。10年ほど前にお笑いコンビ「さまぁ~ず」が出演する人気バラエティー番組が鷲羽山ハイランドでロケをした際に、バルジアさんの面白さが大バズり。「バルジアに『会いたい』『写真を撮りたい』というファンがたくさん来てくれた。メディアからの取材も増え、大きな転機となった」と広報担当者は振り返る。 現在、サンバチームには8人が所属。当初は「パッションで連れて帰った」とされるメンバーの採用も、ブラジルに帰国した歴代メンバーが紹介してくれることで比較的に楽になったという。面接は通信アプリを活用しているそうだ。 「カオス」「クセすご」と表現されることについて「いじられてこそ輝くのが『鷲羽山ハイランド』。これからもどんどんいじっていただけるように、独自路線でとがっていきたい」(広報担当者)と意気込む。