再び動き出した女川原発 女川町に入り交じる 期待の声と拭えぬ不安〈宮城〉
仙台放送
地元の宮城県女川町では期待と不安の両方があり、町の人たちの受け止めはさまざまです。長年にわたる経済的恩恵と根強い反対という矛盾を残したまま原発が動き出しました。 10月29日午後7時、約13年8カ月ぶりに再稼働した女川原発2号機。震災の被災地にある原発として最初の再稼働となりました。 女川町 須田善明町長 「ここからが本当の意味でのスタート。何も終わったわけではなくて、むしろここから始まっていく」 東北電力元社員 後村昌和さん 「期待するところが大きい。我々から見ると」 反対運動を続ける 阿部美紀子さん 「本当に原発がなければ逃げなくていいんですよね。避難計画いらないんですよね」 さまざまな声が交錯するなか、女川原発は震災以降13年ぶりとなる発電に向け、再び動き出しました。 45年前の1979年に建設が始まった女川原発。1995年に2号機、2002年には3号機も稼働し、発電能力を拡大させてきました。発電所の運転は地元の雇用も創出し、地域経済に大きな影響をもたらしています。 女川町内にある宿泊施設「Swimmy Inn Onagawa(スイミーイン女川)」。不漁が続く水産業に代わる産業の柱にしたいと、地元の5社が連携して去年4月にオープンしました。女川原発が再稼働に向けた訓練を行っていた去年は、200人近くの作業員が宿泊し、連日ほぼ満室だったといいます。 ホテルスイミーイン女川 鈴木伸輔総支配人 「これは昨年の8月の状況なんですけど、黄色になっているところがお客さんが入っているお部屋なので、ほとんどの客室にお客さんが入ってる」 一方で訓練が終わった今、宿泊者数はピーク時の3分の1ほどにとどまっています。 ホテルスイミーイン女川 鈴木伸輔総支配人 「今後、観光のお客さまをどうやって取り組んでいくか、地域で行われるスポーツの合宿だとか企業の研修だとか、そういったところのお客様を今積極的にお迎えできるようにしている」 人口6000人に満たない女川町にとって、原発は大きな財源を生み出しています。町の今年度の一般会計予算では、歳入約99億円のうち原発関連の固定資産税による税収が22億円余りを占めています。町に入る原発関連の税収は公共工事を増やします。 2020年に開校した女川小中学校は総建設費約53億円のうち、7億円は原発関連の税収や交付金が使われました。今回の再稼働で町の税収はどうなるのでしょうか。 女川町 須田善明町長 「初年度は10数億円程度の増収が見込まれるが、これも当然ながらずっと減衰していく。中長期的な部分、あるいは瞬間的、短期的な財政出動にどう対応できるか長い目線で見ながら使い方を考えていくことが重要」 固定資産税は設備の老朽化や資産価値の減少が反映されるため、年々、課税額は減っていきますが、女川原発に課されている多額の固定資産税は運転停止中も当然、途切れることはありませんでした。 町のインフラ整備や地域振興につながった原発関連の収入は時に「原発マネー」と批判的に言われることもあります。須田町長はその言葉に不快感を覗かせました。 女川町 須田善明町長 「じゃあ大衡村が『トヨタマネー』と言われるのか、大和町が『東京エレクトロンマネー』と言われているのは聞いたことがない。原子力ってなると、どうしてもリスクもあるという中でバイアスがかかった見方になるから、そういう言い方、表現が出てくるのかなと思う」 多大な恩恵の一方で、地域には長年にわたり根強い「反対の声」もあります。約50年前、女川町は原発の建設計画を前に、推進派と反対派に二分され、激しい対立が続きました。 反対運動を続ける 阿部美紀子さん 「原発も原爆も元は一緒だから危ないということ」 阿部美紀子さんは、当時から反対運動に参加していました。当時は漁協の組合員で反対派のリーダーだった父とともに運動の先頭に立ちました。今も原発反対・再稼働反対を訴え続ける阿部さん。震災の翌年に亡くなった父が残した言葉が胸にあるといいます。 反対運動を続ける 阿部美紀子さん 「とにかくああいう福島にしたくなかった。こういう福島は見たくなかっただから闘ってきたと、父は言っていた」 東日本大震災で巨大な津波に襲われた福島第一原発。世界最悪レベルと言われる過酷事故で最大16万4000人の県民が避難を余儀なくされました。13年経った今も2万5000人が避難生活を続け、7市町村に「帰還困難区域」が指定されています。 10月29日、事実上の再稼働を迎えた女川原発は福島第一原発と同じ「沸騰水型」というタイプの原子炉で、同じ型の再稼働は震災後初めてです。 東北電力の元社員・後村昌和さん(77)は約30年間、女川原発の保全部で原子炉機器の点検管理にあたってきました。13年ぶりの再稼働に大きな期待感をにじませています。 東北電力・元社員 後村昌和さん 「自分たちが仕事をしていた場所でもあるし、政府は20年代に20数パーセント原子力の比率を高めたいというような話もある。それらの一翼を担えると思うので、そういう意味では大変期待が大きいかなというふうに思う」 後村さんは、女川原発が震災に耐えた点を強調します。 東北電力・元社員 後村昌和さん 「津波が来るんだというのは、我々も現役の頃からもちろん分かっていた。それなりに投じる知見でもって、それなりの対応をしていたからこそ、女川原子力発電所はちゃんと耐えることができた」 震災時、女川原発では外部電源が一部確保されたこともあり、福島のような重大事故を免れました。その後、東北電力は総工費約5700億円をかけ、防潮堤をさらに高くするなど、11年にわたって安全対策工事を行いました。 一方で懸念されるのが「経験者不足」です。東北電力は女川原発で働く技術者約500人のうち、4割ほどが原発の運転が未経験だとしています。元社員の後村さんもその点は心配しています。 東北電力・元社員 後村昌和さん 「それなりに我々が現役の頃、いろいろ指導などで技術は継承してきたつもりだが、されていない部分が不安」 実際に再稼働に向けた工程で、人為的ミスによる誤作動など、技術の継承に課題があることを窺わせる事態も起きています。 町に深く根付く原発の経済的恩恵と事故の不安や反対の声。さまざまな思いと矛盾を抱えながら女川原発は再び動き出しました。
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