阪神大震災の被害、遺族の証言「オーラルヒストリー」で残す…きっかけはビートたけしさんの発言
[記憶の継承 阪神大震災30年]<1>
国内初の震度7を観測した1995年1月17日の阪神大震災では、住宅など25万棟が全半壊し、6434人が亡くなった。復興や減災のため、悲しみを乗り越えて被災の記憶を継承してきた人々の30年の営みを追った。 【写真】長男・貴光さんを亡くした経緯を記録してもらった加藤りつこさん
「苦しいけど残してほしい。忘れてほしくない…。何年か後に皆様の目に残るということはありがたいと思うんです」
防災研究機関「人と防災未来センター」(神戸市中央区)5階資料室の書棚に並ぶA4判の冊子「阪神・淡路大震災―犠牲者の記録―」には、大切な人を失った遺族の悲しみや後悔、願いが、語られた言葉の通りにつづられている。行政機関が事実関係を整理した公的記録と異なり、「オーラルヒストリー(口述記録)」と呼ばれる。30年の時を超えて、被災の記憶を継承していく力強さを持つ。
5000人いたら5000通りの死のあり方ってのがあるはずだ
遺族から犠牲者の人生や被災状況を聞き、記録する――。震災発生時は工学部教授だった室崎益輝(よしてる)神戸大名誉教授(80)がそんな計画を思いついたのは、希代のコメディアンの鋭い洞察に触発されたからだ。
「死をひとまとめにして扱うってのは失礼だって気がするんだよ。5000人いたら5000通りの死のあり方ってのがあるはずだ」
1995年秋、ビートたけしさん(77)がこんな発言をしていると人づてに聞き、都市防災の専門家として責任の取り方を考えた。「一人ひとりの記録があって、初めて被害の全貌(ぜんぼう)がわかる」
震災3年後、研究室の学生と調査チームを組織し、遺族の元に向かわせた。建物の劣化具合、家具の転倒など犠牲者が亡くなった状況を詳細に聞くことで統計の数値に表れない実態を明らかにし、次の災害への教訓を見いだそうと考えた。
学生たちは被災地を歩き回って遺族の行方を捜し、調査への協力を求めた。号泣され、追い返されることもあった。「なぜ傷をえぐるようなことをするのか」と批判もされた。
それでも20年間で学生ら50人余りが調査に参加。部屋の間取り図なども添えて、犠牲者計363人分の証言を冊子にまとめた。