’19センバツ習志野 第2部/下 憧れ、思いは同じ アルプス席が「夢舞台」 /千葉
<第91回選抜高校野球> ◇選手鼓舞する欠かせぬ存在 JR名古屋駅のホームで新幹線を待つ吹奏楽部員らに、顧問の石津谷治法(はるのり)教諭(60)が尋ねた。「明日の野球応援に行ってもいいと学校から許可が出た。どうする」。部員たちは目を輝かせ、「行きます」と声をそろえた。昨年10月、名古屋市で開かれた全日本吹奏楽コンクールで銀賞に終わり、肩を落として帰路に就く途中だった。千葉に戻ったコンクールメンバー約50人は翌日早朝、関東大会準々決勝の応援のため甲府市に向かった。 この日は通常授業の予定だった。しかし、コンクールメンバーの酒井悠歌部長(2年)は「関東大会の成績次第でセンバツに出場できる。甲子園で僕たちの音色を響かせたいという思いがあり、コンクール中も野球部の試合が気になり、応援したかった」と話す。甲子園を夢舞台と憧れるのは球児だけではない。 2011年夏、吹奏楽部の加藤昇竜さん(2年)は当時小学4年生で、父親と自宅リビングのテレビの前で拳を握っていた。当時、野球チームに所属。10年ぶりの夏の甲子園で8強をかけて金沢(石川)と対戦する習志野を観戦していた。「200人を超える吹奏楽部員がいる」と中継は伝え、アルプススタンドで堂々と演奏する吹奏楽部の姿と、応援の熱狂に目を奪われた。「こんなチームが地元にあるのか」と驚いた。ナインはこの夏、24年ぶりの8強に進出した。 「習志野で応援をしてみたい」と考えた加藤さんは17年4月、習志野に進学し、吹奏楽部に入った。中学は陸上部で楽器演奏の経験はない。石津谷教諭は「練習が厳しいこともあり、未経験者の入部はここ数年では珍しい」と言う。選んだ楽器は姉のお下がりのバスクラリネット。最初の1年は譜面を読めず、「演奏しているより質問のために口を動かしている時間のほうが多かった」と仲間からからかわれる。それでも練習を重ね、昨年夏から元野球少年の経験を生かし、試合の流れに合わせて指示する副指揮の役を任される。「実際に習志野で野球応援したら、ここが自分の居場所だと感じるようになった」と話す。 昨年10月23日、甲府市の山日YBS球場であった東海大甲府(山梨)との関東大会準々決勝。三塁側スタンドには、約200人の吹奏楽部員が集結した。試合開始直前のざわつくスタンドでは、前日までコンクールで名古屋市にいた酒井部長が「気合を入れて演奏してくれ」と声を張っていた。 二回表に先頭の高橋雅也選手(1年)が左中間を破る三塁打で出塁。すかさず「ドン、ドン、ドドドン」とドラムが打ち鳴らされ、加藤さんら3人の指揮が一斉に両腕を振り上げた。球場にはチャンス時のテーマ曲「レッツゴー習志野」が響く。押し出し四球と小澤拓海選手(1年)の内野安打でこの回2得点。約7分間、途切れずに演奏した吹奏楽部員だが、笑顔が広がっていた。酒井部長は「これまでで一番、奇麗な音が出たレッツゴー(習志野)だった」と振り返る。勢いに乗った習志野は8-4で東海大甲府を破り、センバツ出場に近づいた。 大音量の演奏で選手を鼓舞する吹奏楽部を「もう一人のチームメート」と呼ぶ野球部OBもいる。その一方で加藤さんは「野球応援あっての吹奏楽部」と話す。吹奏楽部にとっても野球部は欠かせない存在だ。センバツは3月23日開幕。200人を超える習志野の吹奏楽部が全員で「美爆音」を甲子園で響かせる。(この連載は秋丸生帆が担当しました) ……………………………………………………………………………………………………… ■習志野野球部の軌跡 2018年秋の県大会準決勝で銚子商を6-1で破り関東大会出場を決めた。決勝では中央学院に敗れたが、県大会4強のうち最少の失点と失策で、堅い野球が光った。関東大会1回戦では、桐生第一との延長十四回の接戦を制す粘り強さを見せ、準々決勝の東海大甲府戦は8-4で快勝した。準決勝で桐蔭学園に敗れるも、4強進出までの活躍が評価され、1月25日にセンバツ出場が決まった。