<リベンジの春・’23センバツ>背中を一押し/上 希望の星 息子、孫のよう 納内全町民「クラーク後援会員」 /北海道
「息子、いや、孫なのかな」。センバツに出場するクラーク記念国際の本校がある深川市の納内(おさむない)町で笑みをこぼす男性がいる。野球部後援会事務局長の曽我部靖彦さん(55)=中古車販売業=だ。新型コロナウイルスの影響で観戦が制限される中、可能な限り、応援を希望する地元の住民たちを球場に送り届けてきた。「息子」や「孫」にエールを送るためだった。「今回こそ甲子園での初勝利を期待したい」と開幕に向けて鼻息が荒い。【金将来】 深川市の人口は2万人ほどだ。東部に位置し、野球部が拠点を置く納内町は人口が約1500人。山に囲まれた盆地にあり、雪が溶ければ、見渡す限りの畑が広がる。 クラークは、地元を背負った希望の星だ。野球部が創部されたのは2014年。就任した監督は、駒大岩見沢(廃校)を春夏12回の甲子園出場に導き、センバツ4強入りを含め通算9勝を挙げた名将、佐々木啓司監督(67)だった。地域住民の期待は言わずもがな、膨らんでいった。「納内町から『甲子園』に出場する高校が出るかもしれない」と。 後援会は翌15年に設立された。納内町の住民が町内会に納める町内会費の一部がクラーク野球部の後援会費にあてられることもきまった。つまり地域住民の全員がクラーク野球部の後援会員となったといって過言ない。 少子高齢化が進む納内町。通信制のため、クラーク野球部の選手たちは道外出身者が多い。野球部は寮暮らしのため、部員は住民票を深川市に移す。形式的な「市民」というわけでなく、積極的に地域の行事にも参加した。餅つきや新年会、神社祭りなどと、町内会の誘いを受け、関係性を築いてきた。 曽我部さんは言う。「一人一人の顔と背番号を覚えて、大会のときはバスツアーを組んで応援に行くようになりました。それが本当に楽しみでね。年寄りたちはクラークの選手から力をもらってますよ」 交流を阻害したのは、3年前に始まったコロナの流行だった。餅つきなどのイベントはすべて中止となり、地元住民と野球部員がふれ合う機会が減った。「毎年、納内神社の祭りがあってね。町は年寄りしかいないから、『クラーク野球部の選手たちにみこしを担いでもらおう』と、ちょうど話してた矢先だった」と当時を振り返る。 ◇野菜ポストで交流途絶えず それでも地元住民の「クラーク熱」が冷めなかったのは、ふれ合う機会が減ったものの、交流が途絶えていなかったからだ。それが「野菜ポスト」というシステムだった。 曽我部さんは「コロナの前に始めたのよ。農家や住民の家庭栽培で育てた野菜を野球部寮に寄付する取り組みだね。コロナ禍のときもずっと続けてきた。直接の交流はできなくても『クラーク野球部を応援しているよ』という気持ちは野菜と一緒に届けたよ」と説明する。感染症対策で思うように練習ができず、もんもんと過ごしているであろうクラーク野球部から感謝を伝える返事も届いた。 曽我部さんは「甲子園に出場するだけで、本当に努力してきのだということが分かる。甲子園の舞台を存分に楽しんでほしいという気持ちかな。もう十分、力をもらっているけれどね、私たちは現地で選手たちの雄姿を目に焼き付けて、また元気をもらおうと思っていますよ」と頬(ほお)を緩めた。 ◇ ◇ 18日に開幕する第95回記念選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催、朝日新聞社後援、阪神甲子園球場特別協力)は、10日に組み合わせ抽選会がある。選手たちの背中を一押しする存在を2回にわたって紹介する。