COW COW・多田 どん底時代を支えてくれたナイナイ・岡村の優しさ
ずっとお世話になってきて、いろいろお話はするんですけど「COWCOWはこうした方がいい」とか、逆に「君らはおもしろい」とか、そういうことはおっしゃらないんです。恐縮ながら、するのは地元のツレといるみたいな会話と言いますか。仕事だとか、芸だとか、コンビとしての評価だとか…、そういう話には全くならない。岡村さんがどういう意図を持って、あるいは、意図なんてなくてナチュラルにそうしてらっしゃるのか、それは僕には分かりませんが、だからこそ僕も「仕事、どうしたらいいですかね」みたいなことは聞かずにここまできたんです。 ただ、岡村さんにお会いしてからの数年間は、正直、仕事的には一番しんどい時期でもあったんです。「M-1」に出るものの、どうしても決勝に行けない。02年もダメ、03年もダメ。そうこうしているうちにデビューから10年経って、出場資格もなくなった。「M-1」で結果を出していないこともあり、徐々に仕事も右肩下がりになっていく。どんどん負のスパイラルに入っていくと言いますか…。 そんな時期が続き、いよいよしんどくなってきた頃、いつもの“お見合い会”で岡村さんが、ふと、おっしゃったんです。女の子らに僕が自己紹介をしたんですけど、ま、知名度もないので、反応がなんとも薄かった。その時、岡村さんが「ま、あなたたちも、すぐ知ることになりますから」と。 衝撃でした。「こういうことを思ってくださってるんや…」と。岡村さんがどこまでどんな思いを持っておっしゃったのか、お尋ねしたことはありませんけど、少なくとも僕にとってはとんでもなくうれしい言葉でした。 しんどい時に、初めてそんなことを言ってもらった。また、直接的じゃないことが、より一層心に染みました。その言葉で「岡村さんがそんなことを思ってくださってるんやったら大丈夫。また、大丈夫なように、こっちがしていかなアカン」と思えるようになったんです。それを言ってもらってしばらくして、08年あたりから「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ系)などにも出るようになり、そこから“あたりまえ体操”にもつながっていったんです。 さらに、そこからの話で言うと、岡村さん、プライベートでクラブのDJをやってらっしゃるんですけど、あたりまえ体操が世に出てから「…あの~、今度DJをやる時に、あたりまえ体操をクラブバージョンにして流したいんやけど、かまへんかなぁ?」と言ってもらいまして。その言葉も、とても、とても、うれしかったです…