新潟県中越地震から20年 被災地での経験から見えてくる防災への課題
先月23日で新潟県中越地震から20年を迎えました。被災地での経験を生かし、県内で活動する看護師や社会福祉士に防災への課題について話を聞きました。 仲宗根久美子さん「どう助ければよいのかずっと考えながらやっていた。」 当時の経験を時々言葉を選びながら話すのは、沖縄赤十字病院で看護師として働く、與那覇美奈子さんと仲宗根久美子さん。 2004年に発生した新潟県中越地震から2週間後、救護班として、最大震度6強を記録した小千谷市に赴き、被災したおよそ350人の地元住民に対し、診療やケアを行っていました。 ライフラインがまだ復旧されない中で、家に帰れない人、けがをした人、持病のために服用している薬が切れた人などが避難所となった中学校に身を寄せていたと言います。 仲宗根久美子さん「過酷な環境の中でみなさんが肩を寄り添っている。みんなで明るく話して笑いながら過ごしているのを見るとぐっとくるところがあった」 初めての被災地への派遣だったという2人。それでも、時間を問わず多くの被災者の「話を聞く」ことで、家に帰れず不安の日々を過ごす人たちに寄り添ってきました。 與那覇美奈子さん「いつでも私たちのところに来てもらえるように、いつでも救護所の電気は消さないという形で、避難している人に安心してもらう環境づくりを(意識していた)」 新潟での経験を踏まえ、與那覇さんと仲宗根さんは沖縄でも災害が起きた時の心構えについて考える時間を作るべきと話します。 與那覇美奈子さん「自分が抱えている疾患が悪くならないようにするためにはどう生活していかなければいけないか、個人個人が持っておかないといけない」 仲宗根久美子さん「災害は年齢性別問わず、みんな平等に起こるものと感じた。これから私たちもいつ起こるか分からない災害に向けて準備をすることが一番大事だと思う。」 森田清志さん「自分にふりかかる被害を最小限に食い止めるのは普段からどうしようかと考えることが非常に大事になってくる」 県内で社会福祉士として活動する森田清志さん。防災士の資格を持ち、NPO法人「防災サポート沖縄」のメンバーの一人としてうるま市照間で防災に関する講演会を行いました。子どもから高齢者まで幅広い年齢層の地元住民およそ40人に、リスク・危機の管理や子どもの防災意識を育む地域づくりの重要性を語りました。 森田清志さん「ドーンの次はガラガラガラ。よく地震が起きたときに机の下に潜りましょうとあるけど無理だった」 森田さんは兵庫県明石市出身。1995年に発生した阪神淡路大震災で被災した経験を生かし、沖縄でも防災への備えについて伝えようと活動しています。 照間自治会 花城清文会長「津波というのは大変だなと区民には意識づけしないといけない」 沖縄では今年4月に台湾東部沖地震により津波警報が発表され、実際に県内で最大30センチの津波が観測されました。沖縄市比屋根の自宅から避難した森田さんに実際のルートをたどりながらその時の様子を解説していただきました。 津波警報が発表されたのは9時1分。準備していた非常用持ち出し袋を持って、2・3分後には自宅を出発しました。 森田清志さん「ちょうどここら辺が海抜2mなんですよ」 さらに近くには、津波が陸上よりも1.5倍速く遡上すると言われている川が流れているため、一層の警戒が必要なエリアです。比屋根の住宅街の中を歩く森田さん。近くには保育園や病院があり、子どもたちにも声掛けをしながら避難をしました。 一方、森田清志さん「ここです。ここが大渋滞だった」 県民に染み付いた習慣からか、やはり車で高台に避難しようとする人が多く、道路は渋滞していたと言います。 森田清志さん「停電することなく信号がちゃんとついていて良かった」 その後、国道329号を横断し、細い道に入って坂を上ることおよそ2分、9時10分ごろに海抜34mの高台に着きました。 森田清志さん(かぶせながら)「ちょうどあっちに海が見えるので海の様子見ながら「大丈夫かね」と言いながら」 最終的には高台におよそ100人が集まったと言います。 ここ数十年、地震や津波による大規模災害を受けていない沖縄。警報発表時には、その土地で長年培われてきた助け合いの精神が垣間見えた一方で、避難場所の周知や車での避難など、課題も見えてきたと言います。 森田清志さん「地域の人の協力や連携で安心して避難できることが分かったし色々な人の協力があってうれしかったというのかな、まだ津波避難場所の位置が分からないという人も少しいたので普段から考えることで色々な視野が広がる」 森田さんは「節目でなくても普段から考えることが大切」だと話します。 中越地震が発生したのは2004年「10月23日」ですが、11月中旬に入ったきょうも新潟県内のテレビ局は中越地震に関する特集を放送しています。それだけ一つの災害が人々の暮らしに与えた影響が大きいと感じます。 また、森田さんは4月の津波警報発表時「停電していなくて良かった」と言っていました。もし停電が起きていたら信号が消えて、さらに交通が混乱することも予想されます。 いざライフラインが寸断された時に心構えができているか、時間をかけてそれぞれが考える必要性があります。