大阪・戦争の事実知って 地元を追うラジオ報道マンの生き方
当時のことを知っている方にはぜひ証言して頂ければ
26日に爆心地跡地で行われた「田辺模擬原爆追悼式」でも、吉村さんはこのことを伝えることの大切さなどを訴え、これまでにかかわった多くの人が来賓として参加してくれた。 「吉村さんの行動に心を打たれた」という大阪市住吉区の飯田清和さんは、小学校3年生の時、広島の原爆ドーム近くにあった小学校で被ばく。そのことを家族にすら隠していたが、隣接する東住吉区で模擬原爆を落とされたこと、それを伝えようとする吉村さんの姿をみて、自らが語り部になろうと決意。追悼式では毎年、そのことを話している。 飯田さんは「吉村さんとはラジオの関係などで知り合いましたが、その取り組み方に感動して、自分は今までなにをやっとんのやと思いました」と当時を振り返る。 また、追悼式では、これまでにかかわった大阪府内各地の小学校の生徒らも訪れ、平和への思いなどを発表してくれたり、当時の田辺周辺の惨状を知る人らも証言を買って出てくれた。 吉村さんは「街のいろんなことを掘り起こしていこうと思い何年にもなりますが、こうして協力して頂けるのはありがたい」と話す。また、模擬原爆については「自分たちの活動を知ってもらえたら、ひょっとしたらまだ、田辺の惨状を目の当たりにした人にその時のことをお話頂けるかもしれない。これからも証言して頂く人を探していきたい。その時は連絡を頂ければ」と話している。