「原爆の父」オッペンハイマーの生涯につきまとう「因果応報」 キリアン・マーフィー演じる危うい科学者像
日本人にとっては、その名は忌まわしい。 映画「オッペンハイマー」(クリストファー・ノーラン監督)。「原爆の父」とも称される科学者オッペンハイマーの生涯を伝記をもとに描いた約3時間の長編作は、多くの映画賞を受賞するとともに、日本公開時には多くの議論を呼んだ。 【写真を見る】J・ロバート・オッペンハイマーを演じるキリアン・マーフィー どうしても、日本の観客は複雑な感情を抱かざるを得ない主人公を演じたのはキリアン・マーフィー。彼が銀幕で見せているのは、危うさと才能が同居する科学者の、因果づくしの人生だ。 映画は第二次世界大戦後「赤狩り」のさなかのJ・ロバート・オッペンハイマーへの査問会から始まり、何度も時系列を行き来する。若く意気軒高な科学者だった頃からソ連のスパイ疑惑を受けるまで、オッペンハイマー(以下、ロバート)の半生をキリアンが一貫して演じた。 学生時代のロバートは、才能はあれど不器用で危ういところがある学生として描かれる。モノローグのように映し出される火の粉や天体は、科学者の頭の中でどんな思考が展開されているかを象徴している。なのに一方で、からかわた腹いせに教授が机に置いていったリンゴに青酸カリを仕込む危うさも。このあたりは、原爆開発に突き進む彼の今後を暗示していよう。キリアンの端正な、しかし物憂げな瞳はこうした繊細さや危うさを体現してくれている。 ロバートが最も"ノリにノッていた"のは、カリフォルニア大学で教鞭を取り始めてから、マンハッタン計画を推し進めるまでだろう。自分の研究室と学生を持ち、ロレンスという同僚にも恵まれた。妻のキティと家庭を持ちながらも、不倫までしてしまう。彼をマンハッタン計画にスカウトした陸軍のグローヴス(マット・デイモン)も「道楽で女好き、共産主義者の疑いあり、情緒不安定で大げさ、尊大で神経質」と評するほどだ。 ところがキリアンのロバートは、かつての風変りな学生と同じ人物とは思えないほどリーダーシップを発揮。物資の確保を指示し研究に適した土地(ロスアラモス)を見つけ、科学者を次々にスカウトし、グローヴスとはすっかり立場が逆転。何かに憑りつかれたような表情で原爆開発を急ぐロバートに、科学者ラービ(デヴィッド・クラムホルツ)が「軍服を着るな。科学者として自分らしくいろ」と語るところが警句めいてくる。 そう、劇中でのロバートの生涯には、「因果」がついてまわる。原爆をめぐる名声と苦悩はもちろん、不倫相手のジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)には自殺され、軍に私生活や大学時代の左翼勢力とのかかわりをきっかけに疑われる。自身は水爆開発に反対するが、核兵器の威力に執着するかつての同僚で「水爆の父」テラー(ベニー・サフディ)との軋轢も招く。戦後に告発されたのも、ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニーJr.)への無思慮な行動で恨みを買ったためだ。 戦後にストローズが、原爆開発の"英雄"ロバートをプリンストン研究所の所長に招いた時、ロバートは靴の商売から身を立てた彼を「卑しい靴屋」と小ばかにした。それらの些細なすれ違いから、ストローズはを告発したのだった。そのストローズも、私怨でロバートを告発したことが露わになって米政府の閣僚になれる機会を失う。ロバートが目を輝かせて研究してきた自然よりも、人間の所業が世界に与える影響力の恐ろしさを、この映画は一貫して暗示している。 劇中で1945年が近づくと日本人としては身構えてしまうが、意外にも淡々と進む。史上初の原爆実験「トリニティ」もCGでリアルな火球を描きつつ、広島・長崎の惨禍が描かれることはない。これがアメリカから見た原爆と終戦であることを理解せざるを得ない。 そんな物語の中で、ロバートの妻キティ(エミリー・ブラント)が最後まで彼と連れ添っているところに救いがある。不倫をされ、キティ自身もアルコール中毒に苦しんだりと幸福な家庭ではなかったが、ロバートがソ連のスパイを疑われても凛としているエミリーが格好いい。キリアンとエミリーが共に、年齢を重ねてもほどよい"老け感"を見せてくれている。 キリアンと第二次世界大戦といえば、『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(2016年)に主演し、チェコはプラハを舞台にハイドリヒ暗殺の実行犯ヨゼフ・ガブチークを演じたことがある。チェコを支配し、ホロコーストに邁進するハイドリヒの暗殺に成功するも、SSに追い詰められて自決するこの悲劇の英雄もマッチしていた。今作で演じたロバート・オッペンハイマーの生涯を「凡人らしさも持った天才科学者の悲哀」と矮小化するのは安直。ロバートと、彼に劣らず歴史に名を遺した人々のドラマから、感じ取れるものが数多ある映画だ。 文=大宮高史
HOMINIS
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