19歳で死刑宣告を受けた元戦犯は~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#17
“戦友の仇討ち”で処刑に参加
命を落とした戦友3人は、いずれも田口泰正少尉が小隊長を務める、同じ隊の兵士だった。 戦友の死を目の当たりにした記憶もまだ鮮明な中、捕らえられたグラマン機の搭乗員3人が殺されることになった。 (小浜正昌さん) 「戦友がやられたから、その復讐だっていう気持ちもないわけでもないし、僕ら一小隊は全部みんな参加したわけですよ。その事件の処刑に。」 小隊長の田口少尉はタグル兵曹の斬首を命じられて実行。田口隊の兵士たちは杭に縛られたロイド兵曹を銃剣で次々に刺した。事件の現場は「戦友の仇討ち」の様相を呈していた。
役場を去る時に全職員に語る
小浜さんは、竹富町の助役を退職する際、慰労会を辞退する代わりに、全職員を集めて自分の体験を話す時間をとってもらった。 (小浜正昌さん) 「それは平和っていうのは何であるか、戦争っていうのは何であるかっていうことを、自分の体験を通して、職員に必ず伝えて退官したかった。戦争っていうことについては、とにかく絶対、どんなことがあっても起こしてはならないと。戦争の醜さ、みんな戦争によって人間が狂っている、正常な人間はいない。すなわち、殺すか殺されるかという中に置かれて、人間は狂っていますから。その中で起きた事件です。だから戦争は二度と起こしてはならない。」
戦争は二度と起こしてはならない
インタビュー中、小浜さんは何度も「戦争は起こしてはならない」と繰り返した。 (小浜正昌さん) 「正直いって思い出したくないんですね。私は石垣島事件にかかわる件については、できるだけ触れたくないというのが僕の心境でもあったし。しかし戦争は二度と起こしたくないと、起こしてはならないというのが、沖縄の私たちに課された責務かなと。事件に関わった人間として、これは敵味方を問わず、戦争が起きたためにそういう事件が起きてしまったわけだから、その事件をなくすためにも戦争を起こしてはならない」 小浜さんは2009年に81歳で亡くなった。テレビ取材に応じて、語ってくださった小浜さんの表情には迫力があった。経験した人だからこその、心からの訴えに思えた。 (エピソード18に続く) *本エピソードは第17話です。 ほかのエピソードは関連リンクからご覧頂けます。