花屋ない島に「母の日」届け40年超 カーネーションおじさん、念願の十島村巡り 感謝の言葉に「続けてよかった」
鹿児島県の離島、三島村と十島村に母の日のカーネーションを毎年贈る鹿児島市本名町の生花店経営・田知行義久さん(76)が、初めて十島村をフェリーで巡った。歓迎する住民らと出港までの合間に交流を深めた。 【写真】〈関連〉島民からもらったお礼のメッセージを持つ鹿児島市本名町の田知行義久さん=フェリーとしま2の船内
寄贈は、花屋のない島の子どもたちのためにと今年で43回になる。本名町が旧吉田町だった時に、両村と同じ鹿児島郡だった縁から始まった。元気なうちにトカラ7島へ足を運びたいと考えていたが、7月に参加を予定した島めぐりツアーが台風で中止。そこで、10月の島めぐりマラソンの船に同乗することにした。 同マラソンでは、ランナーが走り終えると次の島に向かうため、各島の滞在時間は約1時間しかない。手作りボードを掲げた親子と挨拶を交わし、横断幕を持つ子どもたちに船のデッキから手を振った。 「宝島で、3世代にわたる家族から感謝の言葉をもらった」と話し、「続けてきたことへの実感が湧いた」と笑顔を見せた。各島を案内した同村の木戸浩教育長(64)は「ありがたいの一言につきる」と感謝した。 喜寿を一つの区切りと考える田知行さんは「来年の母の日までは続ける」と力を込めた。 ◇2018年5月12日付掲載記事から
13日の母の日を前に、今年も「カーネーションおじさん」から、三島村と十島村に赤いカーネーションが贈られた。鹿児島市本名町で生花店を営む田知行義久さん(70)が11日、両村へのフェリーが出港する本港新町の南ふ頭で、担当者に160本余りを託した。 花屋のない島の子どもたちのために続けて37回目。本名町が旧吉田町の時代、両村と同じ鹿児島郡だった縁から始めたボランティア活動だ。 毎年送られてくるお礼の手紙は「宝物」という。「花を贈ったら、けんかしていたお母さんと仲直りできた」などと書かれた文面もある、と目を細める。「子どもたちは中学を卒業すると島を出てしまうが、親は大切にしてほしい」 活動が40年近くなり、島には、子どもを産んでカーネーションを贈られる側になった人も。田知行さん自身、実母が亡くなり、住家の全焼に遭うなど、さまざまな試練を味わった。「生きている限りは続ける。いつか島巡りもしたい」と話した。
南日本新聞 | 鹿児島