中野香織とデーヴィッド・マークスが語る、現代のジェントルマン論──「ジェントルマンよ、復活せよ!」
多様化する現代社会で、新しいマスキュリニティのありかたが模索される今、“ジェントルマン”はどのような意味をもつのか? 現代におけるジェントルマンの条件とは? ダンディズム史に詳しい服飾史家の中野香織と『AMETORA』の著者デーヴィッド・マークスが、今求められるジェントルマンとその精神を考察する。 ギャラリー:中野香織とデーヴィッド・マークスが語る、現代のジェントルマン論──「ジェントルマンよ、復活せよ!」
デーヴィッド・マークス(以下、デーヴィッド) 中野さんはジェントルマンをどう定義しますか? 中野香織(以下、中野) まず言えるのは、英国の貴族や有産階級に源流があるということです。土地を持ち、なおかつ品性やモラルを兼ね備えている支配階級であることがジェントルマンの条件でした。でも、そうした昔ながらのジェントルマンは今はほとんどいないわけですよね。『007』や『ブライズヘッドふたたび』の世界は夢物語で現実味がない。階級をなくし、平等に向かおうとする時代にあっては、風刺の対象になっている気すらします。 デーヴィッド それは「オールドマネー」が影響力を失ったからですよね。ITや金融で富を築いた「ニューマネー」(新興の成り金)の台頭によって、ヨーロッパの貴族やロックフェラー家をはじめとするアメリカの名家の存在感が弱まり、彼らが担っていたジェントルマン像も前時代的なものとして見られるようになった。 中野 今どきの経営者はパタゴニアにスニーカーのような人も多いですしね。むしろスーツを着ている人が部下だったり。これは21世紀に顕著な現象ですよね。 デーヴィッド 何百億も資産があるのに普段はジーパンとスニーカーで、ボタンダウンシャツ一枚でドレスアップという。でも、彼らがジェントルマンかというと違いますよね。 中野 現代的なジェントルマンというと誰を思い浮かべますか? デーヴィッド 真っ先に思い浮かべたのはファレル・ウィリアムス。優しくて、周りを応援しようとする姿勢もあるし、どの分野でもうまくいく。スタイルも良いし、髪や肌の手入れも行き届いている。身なりと内面、どちらも併せ持っていないとジェントルマンとは言えません。それからトム・ブラウン。彼は伝統的なジェントルマン像を遊んだ服づくりをしていますが、結果として、それが新しいジェントルマン像を生み出している。 中野 クリエイティブの面では面白い時代ですよね。英国でも、ジェントルマンスタイルにレゲエ文化を掛け合わせるニコラス・デイリーのような新時代のデザイナーがテーラリングを斬新な手法で更新し続けています。また、サヴィル・ロウでも女性のテーラーが増えていますし、グレース・ウェールズ・ボナーやビアンカ・サンダースのようなメンズウェアをデザインする女性のデザイナーも大勢いる。エスニシティやジェンダーもさまざまな作り手がいるので、これから現代的なジェントルマンスタイルが次々と発明されていくのではないでしょうか。 デーヴィッド 女性のジェントルマンもあり得る時代ですね。僕自身、雑誌からメンズウェアをかっこよく着こなしている人を紹介してほしいと訊かれたら、ジェンダー関係なく答えます。 粋な人とジェントルマンの共通点 デーヴィッド 日本的な紳士があるとしたら、どんな特徴があると思いますか? 中野 このあたりは『AMETORA』の表紙イラストも描かれている穂積和夫さんがお詳しいですが、やはり「粋」でしょうか。山手の紳士文化には粋が受け継がれていると穂積さんはおっしゃっています。粋の条件としては、ひけらかさないことや8割でとどめることが挙げられます。それが品の良さに繋がると。 デーヴィッド 日本では商売でも粋であることが良しとされますよね。マーケティングが成功したというよりも、偶然売れたように見せたがりませんか? あれは士農工商から来ていると思うんです。一番下が商人じゃないですか。だから「たまたま売れただけですよ」と謙遜する。紳士的な売り方でいえば、裏原宿で始まった「限定商法」もあります。高級品ではないTシャツやスニーカーをどう買う気にさせるかという点で、とても品のある方法だと思います。 中野 紳士的なビジネスですね。 デーヴィッド アメリカの起業家はビジネスのために法律のギリギリを攻めますよね。ジェントルマンの価値観ではそこまでいきません。できるけどやらないという暗黙の了解、「紳士協定」がありますから。だから大企業は作れない……いや「作らない」というほうが正しいですね。 中野 デーヴィッドさんは『Status and Culture』という本を書いていますが、ステータス(社会的な地位)の変化はジェントルマンにも影響しているのでしょうか? デーヴィッド そうですね。例えば、昔だったら政治家や牧師はみんなから尊敬される職業でした。でも今は、お金があることが一番のステータスになってしまっている。有名で大勢から愛されているハリウッドの俳優が自分でビジネスを始めているのも、そうした背景からです。昔は資産と関係のないところにあったステータスや尊敬が、今ではお金がないと得られないものになっている。パリス・ヒルトンがいい例ですが、オールドマネーがニューマネー(的な文化)に憧れているような状況です。 中野 資本主義的な価値観が浸透しているわけですね。特にアメリカはその傾向が強い。 デーヴィッド 今ではイーロン・マスクやジェフ・ベゾスが貴族と並んで、あるいはそれ以上に高い地位を持つようになりました。でも彼らがジェントルマンかと言われると違いますよね。やはりジェントルマンにはスタイルや仕草やモラルが必要です。だからこそ、かつては「あの人はお金あってもジェントルマンじゃない」という言い方でクラブへの入会が断られ、紳士のコミュニティが保たれていた。でもそうした構造が機能していたのは、オールドマネーにステータスがあったからこそ。今はそこが崩れてしまったから、成り金的な価値観が強くなってしまったのだと思います。 中野 お金持ちだけが偉いという価値観では今後必ず行き詰まりますよ。『新・ラグジュアリー』という本を共著で書いたのも、そこに対する危機意識があったからです。そして、日本はそれとは異なる価値観や新しいラグジュアリーの種が人を豊かにできるというのが私の提言です。例えば、西洋だと農民が考えたものはラグジュアリーになり得ないですが、階級意識が希薄な日本では、農民が寒さを凌ぐためにつくった「こぎん刺し」に高い価値がつく。宮古島の女性たちが作る「宮古上布」は数百万の値がつく最高級の織物と知られていますが、その作り手は60歳でも新米で、手の感覚が鈍くなって太い糸が紡げるようになる90歳でようやく大成すると言われている。いわば、高齢化社会を生きるための知恵です。島のばあばたちも「この仕事は若いのにはやらせたくない。老婆の特権だ」って言うんです。諧謔もあるかもしれませんが、そういう考え方やそこから生まれるラグジュアリーは、資本主義に代わる「新しい価値観」の提案になると思います。 現代におけるジェントルマンの条件 デーヴィッド そういう新しい価値観を見極められる人こそジェントルマンですよ。それは、暗号のように複雑なものを読み解く知性とセンスがあるということです。新興の富裕層はステータスを証明するために、誰にでも高級だとわかるものを買って見せびらかしていますが、それはとても単純な記号のやりとりです。彼らが買うのは、3歳の子どもに見せてもそれが高級だとわかる車や家であって、経験や知識がなければわからない複雑なものではない。ただ、わかりやすい記号ばかりだと文化は成熟しませんし、人々のセンスも磨かれません。このままだと、文化が単純でつまらなくなってしまいますよ。ジェントルマンが魅力的なのは、お金以外の文化や美学にこだわるからこそ。だからジェントルマンを目指すなら、複雑な記号を楽しめるセンスやそれを培う知識や経験は欠かせません。ではどうすればいいのか。センスを磨くうえで参考になるのが、アーティストや文化的な教育を受けている中流階級、いわゆる「クリエイティブクラス」の人たちです。彼らはお金がない代わりに、記号で遊び、記号で競争しています。中野さんが紹介してくださったデザイナーもまさにそうですね。 中野 ダンディの元祖ボー・ブランメルもまさに、趣味と美意識でもって差別化しようとした人でした。無彩色のスーツを特徴とした、今に通じるスーツの美学もそこから生まれたわけです。ちなみに、当時のジェントルマンクラブでは成り金を排除するために、ぱさぱさのケーキと半発酵のボヒー茶を出していたそうです。「この質素な味わいがわからなければ、うちのサークルに入る資格はない」と(笑)。 デーヴィッド 今支配的になっているニューマネー的な文化に対抗する新しい文化が必要ですね。 中野 ブランメルが登場したのは、フランス革命のあとで貴族が失墜し、新興の成り金が勢いを増していた頃ですから、今と似たような時代だと言えるかもしれません。現代のボー・ブランメルが希求されていますね。資産だけでなく、ファッションセンスと道徳的な考え方を兼ね備えたジェントルマンよ、復活せよ。 デーヴィッド・マークス 1978年、アメリカ生まれ。ハーバード大学卒業。2006年、慶應義塾大学大学院修士課程修了。著書に『AMETORA 日本がアメリカンスタイルを救った物語』がある。最新刊『Status and Culture』の日本語版は年内発売予定。 中野香織 服飾史家/著作家 イギリス文化、ダンディズム史、ファッション史、英国王室スタイル、ラグジュアリー領域を専門とする独立研究者。著書に『「イノベータ」で読むアパレル全史』『新・ラグジュアリー文化が生み出す経済10の講義』(安西洋之との共著)など。 WORDS BY SOGO HIRAIWA ILLUSTRATIONS BY NAOKI SHOJI