本田真凜の無垢なスケート愛 引退を決めていた今シーズンも支え合った「同期との絆」
【自身を支えた無垢なスケート愛】 すぐに頭角を現わした。11歳で5種類の3回転ジャンプを習得、音楽が鳴ったら即興で滑った。感覚で大概のことはできたし、天分に恵まれていた。 2016年の世界ジュニア選手権、本田は優勝を果たしている。2017年の世界ジュニアも五輪女王となるアリーナ・ザギトワとしのぎを削り、合計200点超えでパーソナルベストを記録。同年、ジュニアで出場した全日本選手権で表彰台に迫る4位。愛くるしい容姿もあって人気は急上昇し、大手スポンサーがつき、雑誌の表紙も堂々と飾った。 それは当事者ではないと計り知れないプレッシャーだったはずだ。 「期待を裏切った」。簡単に批判を浴びた。不調や不運にもさいなまれる。それでも競技をやめず、全日本9年連続エントリーという結果を残した。それ自体がメダルと言えないだろうか。 「子どもの頃は習い事のひとつだし、いつやめてもいいかなって感覚だったんですけど。16歳になってつらいシーズンで、年末に自分から練習を休んだことがあったんです。でも、スケートがない生活を考えられなくて、結局、4日間しか休まずに練習を再開していました」 本田は笑顔で言う。彼女を突き動かしたのは、天賦の才よりも無垢なスケート愛だった。
【好きなまま、引退できる】 「兄の太一が引退の年、今の私と同じ年で、やりきった表情をしていたんです。だから、自分もここまでやりきりたいって思いました。そのために、全日本に出続けるって決めて」 本田は言う。スケートを通じたさまざまな絆が、彼女のひそやかな決意になっていたのだ。 「(同期のスケート仲間とは)みんな小学校から一緒の幼馴染という感覚で。今シーズンで最後だよ、っていうのは知ってくれていて。最後の試合は体の状態がよくなかったけど、そのなかで頑張れたと思うし、(みんなと)支え合えたからこそで。スケートが好きなまま、引退できるんだと思います」 今シーズンの東日本選手権、ギリギリの5位で全日本出場が決まった時の逸話は象徴的だ。フリースケーティングで最終滑走だった青木祐奈(日本大)は、自身の演技を直前に控えていたにもかかわらず、同期である本田の更衣室に駆けていった。 「(後続の結果で本田が全日本に)行けたよぉ!」青木は涙目で報告し、本田を祝福した。これからある自分の演技そっちのけで、同期の成功がうれしくてたまらなかったという。 「真凜ちゃんとは小さい頃から高め合ってきて。真凜ちゃんがいたから、表現のところにもフォーカスできました。彼女がいなかったら、今の私はいない、と思うほどで」 青木は笑顔でそう語っていた。
【プロスケーターとしての新たな道】 今後も、本田はプロスケーターとして滑り続けるという。 新しいことへのチャレンジも用意があるようだが、具体的には明かさず、この日は競技者としての幕引きをかみしめているようだった。「表に出なくなっても、どこかでスケートを滑り続けているんじゃないかって」とつけ加えた。 「スケートを始めた2歳の時には、引退発表している自分の姿は想像できなかったので。この景色を伝えられたら、すごくびっくりするんじゃないかと思います!」 最後のフォトセッション、本田は少し照れながらも健やかで可憐な笑顔を振りまいていた。
小宮良之●取材・文 text by Komiya Yoshiyuki