【1990年・安田記念】オグリキャップが叩き出した怪物レコード 武豊がこぼした〝楽勝〟エピソード
【記者が振り返る懐かしのベストレース】自身にとって最後のダービーをメイショウサムソンで見事に制した瀬戸口勉調教師。温厚で誰からも好かれた師が、世間に広く知られるようになったのは、あのオグリキャップを管理してからだ。 地方12戦10勝(2着2回)。3歳春に中央入りしたグレーモンスターは、いきなり重賞6連勝。秋の天皇賞(2着)、ジャパンC(3着)は芦毛の先輩に敗れたが、年末の有馬記念を制して希代のアイドルホースとなった。 GⅠ戦は負けても名勝負といえるような激闘が多かったが、勝った4レースのうちでもっとも楽な競馬が5歳春=90年の安田記念だった。前年の有馬記念を5着敗退したオグリは、福島県いわき市の馬の温泉で休養して、4か月半ぶりの実戦。それでも仕上がりは万全で当時、オグリ番だった記者の取材ノートには「瀬戸口師=普通に走れば勝てるんちゃう」なんて書いてあった。 その言葉通り、レースはワンサイド。好位からスッと抜け出し、余力を残して快勝した。それでいて時計はなんと1分32秒4! 目を疑った。 なんせ当時の東京芝1600メートルのレコードは1分33秒5(87年=ラブシックブルース)。それを楽な競馬で1秒1も短縮したのだから、記者だけでなく観客がどよめいたのは無理もない。 秋の海外遠征の“予行演習”として手綱を取った武豊は「あと0秒2で世界レコード? 分かってたら、もっと追えば良かった。手応えはまだ余裕あったからね」と悔しがったものだ。 公営時の800メートルから有馬記念(2勝)の2500メートルまでさまざまな距離で活躍したオグリだが、ベストは間違いなく4戦4勝の芝マイル戦、と記者は思う。それを証明した一戦でもあった。(2006年5月31日付東京スポーツ掲載)
東スポ競馬編集部