【連載】会社員が自転車で南極点へ12 「南極点」(最終回)
球体に手を触れた瞬間一気に現実に
エリックは南極点で僕を待ってくれていて、「Yoshi、写真を撮るよ」と気の利いた事を言ってくれた。僕は素直に受けることにした。よく日本国旗をもって写真を撮る人がいるが、僕は恥ずかしくてとてもそんなことはできない。仕事もせずに、会社を休んで、こんなところで遊んでいる、恥ずべき人間だということを僕はよくわかっていた。 僕は南極点に触れた。 自分が小さくなっていくのを感じた。 その後、僕は早々に南極点を後にした。あまりにも寒かったからだ。 あの球体に手を触れた瞬間、僕は一気に現実に連れ戻された。ああ...ああ...南極点に着いてしまった。 自分がこの旅行のためにやった借金、そして、休んでいる間に沢山たまっているであろう仕事。次の事を僕は考えていた。「頑張って働いて、借金を返さなければ~っ!」 どん底からの再スタートである。多くの冒険家にとって南極点はゴールであろう。だが、僕にとっては、ここがスタートなのだ。
世界の果ては、ただ、風が強く、寒く、どこまでも白く
テントに帰ると、スキーで南極点に到達した他のパーティと合流した。夜は、皆でシャンパンを開けてパーティだ。皆、笑顔で、この日ばかりはと、浮かれていた。 今回のラスト・ディグリーというルートでの自転車による南極点到達は珍しい事のようだった。誰もが祝福をしてくれたが、しかし僕には全然ピンと来なかった。南極を自転車で走ることは決して難しいことではない。まして、この距離であれば尚更だ。 だが、そのことこそ大切な事のような気がする。特別な装備や、特別なお金、特別な時間を使ってやる「冒険」は、誰もが楽しめることではない。もし、仮に南極という場所が魅力的なのであれば、伝えるべきは、特別な人間にしかできない旅よりも、誰もができる旅なのではないだろか? いかに自分の納得できる旅を、自分が納得できる範囲でするか、それが一番僕にとっては大切なのだった。 (そういう意味では、体力も気力も有り余っていたので、もう500キロくらい、南極を自転車で彷徨っていたかったが) こうして、僕の南極自転車旅行は終わりを迎えた。世界の果ては、ただ、風が強く、寒く、どこまでも、白い、白い、場所だった。(おわり) ■大島義史(おおしま・よしふみ)1984年広島県生まれ。学生時代から自転車の旅に魅せられ、社会人になった後も有給休暇を取って自転車で世界を駆け巡る。長年にわたり会社や家族と話し合い、2015年12月に有給休暇を取って自転車で南極点へ行く旅に挑み、2016年1月に南極点へ到達を果たす。同月帰国後は間もなく職場へ復帰した。神戸市在住の会社員。インタビューでは「僕は冒険家じゃない、サラリーマンですから」と答えている。