「筆心地」へ背中を押した、もう一人の自分 勝田晃拓 書の力
部屋の中にそれはある。部屋もその中にある。これは謎々だが、実は「書」における自分も正に宜(うべ)なるかなと思う。ここでいう「それ」はもちろん「鏡」だが、実は鏡の如きもう一人の自分ではないだろうか? 幼少の頃、筆で字を書くことが好きだった。習った字を、風呂場の曇りガラスへいろいろとなぞって夢中になっていたのを覚えている。 そこには「書く」動作が単に字を覚えようとする意思のみならず、同じ様に書けないもどかしさ、自由に変えられる楽しさ、腕に伝わる微妙な感触-に不思議な喜びを感じていたのかもしれない。ここに本来の手書きの良さがある。 稽古指導のとき、私は「うまく…」の会話はしない。なぜなら「書」はうまく書けないから。うまく!という目的意識が邪魔し、ストレスを生み、揚げ句「書く」魅力を失わせるのだ。 筆が自在に働く。これほど気持ちの良い楽しい瞬間はない。これを「筆心地」という。この連続こそ真にうまく書ける秘策。それを可能にするのは、我欲(うまく)を捨てた自分(気持ちよく)が映った「鏡」の方の自分だろう。至福時間を生み出す宝法だ。 今回、人がやれないものを「大作展」(4月、東京・上野の森美術館)で楽しんでやってみよ!と、自身の背中を押したのは、紛れもない、会場でわが作品と対峙した自分を映した「鏡」(もう一人の自分)の方であった。気持ち良くの書作が、もう一人の自分も「楽しんだよ!」と感じてくれた瞬間だったに違いない。これぞ書の力なり。 (産経国際書会副理事長 勝田晃拓) ◇ 産経国際書会は「書道」のユネスコ無形文化遺産登録を推進しています。