札幌大谷、夏またここに 接戦、あと1点遠く /北海道
<2019 第91回センバツ高校野球> あと一歩及ばず--。29日の第91回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)で、初出場の札幌大谷は、2回戦で明豊(大分)に1-2で惜敗し、ベスト8には届かなかった。緊張感漂う接戦を守り抜き、最後まで持ち味の粘り強さを見せた選手たちには、スタンドから「良い試合だった」と称賛の拍手が送られた。【土谷純一、塚本恒】 【熱闘センバツ全31試合の写真特集】 強力打線を誇る明豊に対し、投手陣は最後まで踏ん張った。 この日先発に起用されたのは大型左腕の阿部剣友投手(2年)。阿部投手は「ストライク先行で投げられて、調子が良かった」と落ち着いた立ち上がりを見せた。阿部投手の父貢さん(47)は「先発と知って緊張していたが、安心した」とほっとした表情を浮かべた。 四回には1死満塁の好機が巡ってきたが、無得点に終わり、その裏、太田流星投手(3年)に代わると先制点を奪われた。 六回の攻撃。先頭の釜萢大司選手(同)が「守備で足が止まってしまったので、打って取り返したかった」と中前安打を放つと、後続の犠打などで釜萢選手が生還し、1点を返した。 仲間たちがつないで取った1点。太田投手は「流れを切らないためにも、しっかり投げるんだ」と気合を入れ直し、六回以降は1安打に抑える好投をみせた。 チャンスに一本が出ず迎えた九回。1死一塁の好機で山口竜選手(同)が代打に。しかし、空振り三振に倒れ「速い球に対応できなかった」と悔しさをにじませた。あと1点が遠く、大谷ナインの初めての甲子園が幕を閉じた。 太田投手の母、恵里さん(45)は「ここまで連れてきてくれるなんて、夢にも思っていなかった。本当によく頑張った」と涙を流しながら我が子をたたえた。 ◇「後輩誇りに思う」 ○…初の甲子園で奮闘する札幌大谷ナインにエールを送ろうと、同校野球部のOBもスタンドに駆けつけた。2017年卒で現在北星学園大2年の渡辺駿輔さん(20)は、野球部時代の同級生や後輩5人とともに応援に参加し、攻撃時にはオレンジ色のメガホンを打ち鳴らした。試合は惜敗したが「応援に来られてうれしい。自分たちの代でできなかった甲子園出場を成し遂げた後輩を誇りに思う」と選手たちに惜しみない拍手を送っていた。 ◇73人笑顔絶やさず ○…札幌大谷のチアリーディング愛好会は、系列4校のバトン部などを加えた総勢73人で、ナインにエールを送った。センバツ出場が決まると、これまでの8割方のダンスを変え、大舞台でも目立つ振り付けを考えた。普段は週3回の活動だが、長時間でも応援できるよう、3月中は週6回の練習で汗を流してきた。部長の米谷梨音さん(3年)は「気持ちが暗くなった時、私たちの応援を力に変えてほしい」と試合中、笑顔を絶やさずに選手たちを鼓舞し続けた。 ……………………………………………………………………………………………………… ■球詩 ◇悔しさ胸に前を向き 札幌大谷・西原健太投手(3年) 昨秋の北海道大会の地区予選前。父智洋さん(41)に珍しく「思うように投げられない。これじゃだめだ」とこぼした。大会中は制球に苦しみ、先発してもほとんどが途中降板。優勝した瞬間はうれしかったが、心のどこかでふがいない自分を責めていた。 野球好きの智洋さんに、物心が付く前からグローブと白球を遊び道具として持たされ、野球に親しんだ。小学校に上がると「野球をやりたい」と地域の野球クラブに入った。 智洋さんから道内で唯一、中学硬式野球部を持つ札幌大谷中の存在を教えられたのは小学4年のころ。自宅から通学には鉄道を利用して片道約2時間半かかるが、「中学からは外に出て野球をやりたい」との思いは強く、迷いはなかった。土日は始発が出る前の午前4時台に家を出て、智洋さんに車で送ってもらうこともあった。長い通学時間に耐え、ひたむきに野球に打ち込む息子を「少しでも応援したかった」と智洋さんは振り返る。 昨秋の明治神宮大会へはフォームを修正して臨み、決勝は1安打に抑え完投、チームを優勝へと導いた。 そして迎えた初の甲子園。直前に肩を痛め、エースナンバーを背負いながら、一度もマウンドに登ることはなかった。「悔いが残る甲子園になってしまった。夏にはここに戻ってきて投げたい」と悔しさをかみしめながら、高校最後の夏に向けて歩み始めた。【土谷純一】 ……………………………………………………………………………………………………… ▽2回戦 札幌大谷 000001000=1 00011000×=2 明豊