戦争の悲惨さ学ぶ 被爆者との交流で当時の思いに触れ 平和教育の一環/岡山・津山市
高野小学校(高野本郷)で広島の原爆と朝鮮戦争(1950~53年)を体験した友田典弘さん(89)=大阪府門真市=との交流が平和教育の一環として行われ、6年生67人が激動の時代を必死で生き抜いた被爆者の思いと強い精神に触れ、戦争の悲惨さと平和へ尊さ、生きる大切さを学んだ。 【写真】友田さんに平和への誓いを立てる児童
友田さんは数少ない証言者として広島市などで子どもたちに自身の体験を語る活動を行っている。その半生は真庭市の小学校で非常勤講師として務めながら執筆活動に取り組んでいる吾郷修司さん(57)=同市富尾=の著作「原爆と朝鮮戦争を生き延びた孤児」(新日本出版社)に記され、さらに多数のメディアでも取り上げられている。
9歳の時、爆心地から約460メートル離れた袋町国民学校(現袋町小、広島市)で被爆。校舎内の地下室にいたため命は助かったが弟の幸生さんと母・タツヨさんを失い孤児になった。その後、知り合いの朝鮮半島出身の金山三郎さん(韓国名・キム、名前不明)に助けられ、一緒に半島へ渡るが、金山さんの親族や妻から冷遇を受けて家を出ることを決心。13歳で再び孤児としてソウル市で路上生活を送る中、韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との紛争に巻き込まれてしまう。
この日は、吾郷さんと訪れ、補佐してもらいながら被爆当時のつらい思い出と朝鮮半島での苦しい生活を語った。原爆投下時に校庭にいた弟と同級生らの遺体を見た時、母を探しても見つからなかった時の悲しさ、燃える広島の町で見た光景、極寒のソウルで寒さに耐えながら過ごし、凍傷で足の指を失った苦難、韓国軍と人民軍の戦闘で弾丸が飛び交う死線をかいくぐった体験など、吾郷さんの解説を挟みながら語られる悲痛な話に児童は静かに耳を傾けていた。
最後に子どもたちは友田さんと向かい合って全員で「戦争の無い未来を作るために相手の気持ちを考え、みんなが幸せになる未来を作る」と誓いを立て、握手を交わした。赤松麻衣さん(12)は「大切な人を失う悲しさがとても伝わってきた。原爆がなければ一家で幸せに暮らしていたはず。人間の人生を狂わせる戦争は怖い。人を思いやる心があれば、戦争が起きないと思う。人を大切にしていきたい」と話した。
友田さんは「みんなの優しい姿が印象的だった。現在、社会は多くの問題を抱えているが、この先も争いの無い世界が続くことを願う」と語っていた。
津山朝日新聞社