「ゴジラ×コング 新たなる帝国」が必見のわけ そんたくなし! 行儀悪い怪獣たちの大暴れ
実に爽快な映画である。「ゴジラ-1.0」大絶賛の世相の中で、どこか喉の奥に小骨が刺さっている気がしても、それを言いあぐねていた小心者にとって、その小骨を抜き取ってくれたハリウッドの手腕に大拍手を送りたい。 【動画】喧嘩のスケールが違いすぎる!「ゴジラ×コング 新たなる帝国」予告編
正邪善悪逆転 怪獣の童話
「ゴジラ-1.0」は久しぶりの邦画の名作である。が、何かに迎合する、あるいは妥協する「小骨」があった。それは、何か。さっさとタネを明かせば「きれいごと」「おためごかし」「いい人ぶり」である。泥を描かなければハスの花の美しさなど表現できない。「ゴジラ-1.0」の本質的弱点は(演技など細かいところは別にして)ここにある。 ところが、本稿の「ゴジラ×コング」には、「小骨」は一切ない。一直線の一本道、横道寄り道の一つもない、すがすがしいまでの「童話」である。普通、童話には「寓意(ぐうい)」が隠してあって、ある意味うっとうしいが、それもない。スクリーンに映っていることがすべてである。なれど、「勧善懲悪」を描いているように見せかけて、実は「正邪善悪」の逆転をほのめかす。一筋縄ではいかない相当厄介な「童話」なのである。 ストーリーは明快そのもの。突然発せられた「SOS」信号に反応してゴジラとコングが覚醒する。「SOS」は地底人から送られてきたものだった。地底には、極悪の不潔狂暴極まりない、コングとは別種族の大猿がいて、地上進出を企てていた。ゴジラとコングはモスラの仲介でケンカをやめて1980年代プロレス界最強だった「ハンセン&ブロディ」のごときタッグを組み、凶悪大猿を退治する。なんとも単純で、あらすじだけ読むと見に行かない人が出てきそうで心配なくらいだ。
〝やっちゃいけない〟ことを全部やってくれる
では、なぜ見る価値があるか? 親や教育システムや社会のルールや世俗のマナーや時代が押し付ける決め事などに抑圧された現代の子供たち(大人も?)が「禁止されてうんざり」するし「失敗すると怒られる」し「やりたくてしょうがない」ことを、この映画では、みんな怪獣が子供たちの代わりにやってくれるのだ。子供たちは涙が出るほど痛快に違いない。つまり…… 大声を出して走り回る。動きながら食べこぼしをする。家のものや他人のものを壊す。ガキ大将になろうと権力闘争する。ガキ大将が怖いから仲間を裏切る……。言い換えればこれらは「お行儀の悪いこと」である。子供たちは皆お行儀の悪いゴジラやコングに自らを投影しカタルシスを味わうという仕組みである。 コングの食べっぷりの汚さは天下一品である。凶悪大猿の息は絶対臭そうである。ピンク色のゴジラはセンス悪すぎでしょう。そもそも世界遺産は壊すな! どこもかしこも「やっちゃいけません!」の洪水である。子供は(中には大人も)、本当は羽目を外したくてたまらない。代わりに怪獣がやってくれるのだから最高にうれしいのだ。