脚本家・山田太一が教えてくれること──『今朝の秋』、『想い出づくり。』、『男たちの旅路』から解説
山田太一の長編小説「異人たちとの夏」をアンドリュー・ヘイ監督が再映画化した『異人たち』が公開され、山田太一の作品が再注目されている。惜しくも2023年に亡くなった名脚本家が伝えたかったことは何だったのだろうか。里山社という出版社を運営する清田麻衣子が、配信で見られる『今朝の秋』(1987)、『想い出づくり。』(1981)、『男たちの旅路』(1976-1982)から山田太一作品の魅力を解説する。 【写真を見る】山田太一脚本作品『今朝の秋』、『想い出づくり。』ほか、配信が開始された映画『異人たち』をチェック
私と山田太一ドラマとの出会い
私がやっている里山社という出版社で、2016年から17年にかけて、それぞれ「早春スケッチブック」「想い出づくり。」「男たちの旅路」を収録した全3巻の山田太一作品のシナリオブックを刊行した。ただ、それらのドラマを私自身もリアルタイムで見ていたわけではない。私が小中高時代を過ごした80年代から90年代、テレビはしょっちゅうドラマの再放送をしていた。中学から友達につられるまま深い考えもなく進学校へ入った私はすぐに落ちこぼれ、手応えのない時間が過ぎるのをひたすらテレビの前でやり過ごしていた。 当時見ていたドラマのタイトルや内容はおろか、それを見ていた自分の感情さえ記憶に残ってはいない。日本は今よりずっと勢いがあり、見た目も派手でちょっと危険な遊びをする年上の人たちの恋や仕事の物語を、自分の現実とはほど遠い世界の刺激に引き寄せられるように眺めていたのだと思う。 ただ、時折母が食い入るように見ていた『ながらえば』『冬構え』『今朝の秋』の笠智衆三部作や、鶴田浩二の『男たちの旅路』『シャツの店』、そして大人になってからレンタルビデオで一気に見た『ふぞろいの林檎たち』『想い出づくり。』『早春スケッチブック』などの山田太一ドラマは、その時の情景や感情とともに、いまも私の中に残っている。それらの時間は、軽く薄い時間に身を任せ、無感情の殻に閉じこもろうとしていた思春期の私を現実に引き戻すように濃密で、時間というものの「重たさ」に気づかせてくれるようなドラマだった。 ■『今朝の秋』──社会は多様な主人公の集合体 『今朝の秋』は老いた父、笠智衆が、杉浦直樹演じる働き盛りの息子に死期が迫っていることを知り、息子を病院から連れ出して避暑地の自宅で過ごす、ある夏の出来事を描く単発ドラマだ。かつて家族を捨てた母、離婚を切り出した妻、海外に留学中の娘。バラバラだった家族が老父の計らいのもと、男の最期に仲の良い家族を演じ、束の間の穏やかな時間を過ごす。 本筋は父より先にこの世を去る男と父の哀切なやりとりなのだが、妙に強く私の記憶に残っているのは、長い髪を掻き上げ、ハスキーボイスで電話に出ながら部下に指示を出す妻役の倍賞美津子だ。仕事の合間に義父に男の病気を伝える妻にはすでに密かに恋人もいるが、夫への情もある。単純な「悪い女」ではない大人の女の複雑さに、当惑しながら惹きつけられた。テレビに食い入る私の隣で「この人アントニオ猪木と結婚してたのよ」という母からのゴシップ情報も加わり、より一層ミステリアスな存在として焼きついたのかもしれない。山田太一ドラマは脇役にも奥行きがあり、社会は多様な主人公を抱えて同じ時代を過ごしていくものであることを伝えてくれていたようでもあった。 『今朝の秋』NHKオンデマンドにて配信中 ■『想い出づくり。』──80年代に生きた女性たち、果たして社会は変わったのか 未婚、少子化の現代では考えられないけれど、女性は24歳を過ぎたらもう婚期を逃したと言われた80年代初めごろ、結婚する前に「なんかひとりの時の、すっごくいい想い出欲しい」という赤裸々な思いを吐露する24歳の3人の女性たちを描いた『想い出づくり。』は、群像劇としての面白さが存分に詰まった作品であり、その後、山田太一ドラマの代名詞となる8人の若者の青春群像劇『ふぞろいの林檎たち』の礎となった。 ダメな男との恋に溺れたり、上司と不倫関係に陥ったり、親の薦めで好きでもない相手と結婚させられることになったりと、3人とも結婚を目前にそれぞれに行き詰まっていく。1981年に放映されたこの連続ドラマを、存在は知りながら私が実際に見ることができたのは2010年以後、大人になってからだった。だが、これまで手を変え品を変え消費されてきた若い女性の恋愛とやるせない感情を、これほど紋切り型を打ち破って表してくれるドラマは今も少ないのではないだろうか。その中の一人、古手川祐子演じるその名も久美子が放つクライマックスのセリフには、このドラマの先進性が詰まっている。 「男の人は、ほんの少し私たちの身になってみればいいと思う。二十五、六になっても結婚しないと、まるでどこかに欠陥があるようにいわれ、ちょっと結婚に夢を描くと高望みだといわれ、男より一段低い人種みたいに思われ、男の人生に合わせればいい女で、自分を主張すると鼻もちならないといわれ、大学で成績がいい人も就職口は少なく、あっても長くいると嫌われ、出世の道はすごく狭くて、女は結婚すればいいんだから呑気だといわれ、結婚以外の道は、ほとんどとざされて、その上いい男が少ない、ときては、暴動が起きないのが不思議なくらいではないでしょうか?」 かつてよりは、多くの日本の女性の人生の選択肢は増えた。欧米から届いた思想であるフェミニズムが日本でも社会的に認知され、それに伴い「内面化」「ミソジニー」など、女性の状況を客観視する様々な言葉も一般的になり、それらにより救われた人もたくさんいたし、私自身も気づくことは多かった。ただそれらの言葉が登場することのない山田太一ドラマのセリフには、人間の尊厳を考え詰めることによって導き出された言葉ならではの力強さがある。 『想い出づくり。』U-NEXで配信中 ■『男たちの旅路』──他者のことを分かったふりをせず、考え続ける アフォリズムを愛した山田太一ドラマの中でも、とりわけ警句的な色合いが濃いのが、代表作のひとつで1部から4部とスペシャルドラマからなる『男たちの旅路』だ。舞台は高度経済成長期、戦争から離れて浮かれていく時代。特攻隊の生き残りとして戦争を引きずり、警備員として働く吉岡警部補演じる鶴田浩二が、浮かれた若者代表のような存在である部下の水谷豊らに「若いやつはきらいだ」と言い放ち、「いいか、君たちは弱いんだ。それを忘れるな」とドキリとするような言葉を投げかける。 一話完結で、毎回異なる登場人物が起こす事件に吉岡警部補らが直面していく顛末が描かれるのだが、中でも「車輪の一歩」の映像は、リアルタイムで観賞していない方も断片的に見たことがあるかもしれない。今更薦めるのも憚られる有名なドラマだが、障害者問題を真正面から扱ったドラマとして欠かせない作品だ。 車椅子の娘が辛い目に遭わないようにと家に閉じ込める母。だが、同じく車椅子の仲間の青年たちや「堂々と、胸をはって、迷惑をかける決心をすべきだ」という吉岡警部補の叱咤などにより、少女は思い切って外に出て、当時エレベーターのなかった駅の長い階段を前に「わたしを上まで上げてください」と周囲を歩く人々に呼びかける。駅のエレベーター設置の普及につながった、まさに「社会の側が変わる」ことになったドラマだ。 だが一方で日本はいま、「豊かではないが便利」とでもいうような、複雑な課題を抱える時代になってきている。働き手が減り、顔認証やキャッシュレス決済、ペーパーレス化やセルフレジなど生活のあらゆる場面が生産性や効率化を最優先に変化していく現代社会で、取りこぼされる人々を山田太一だったらどのように描いただろうか。 答えの出ない山田太一ドラマが繰り返し訴えるのは、人間の弱さを忘れずに、予測不可能な他者について考え続けることだ。名前がつくことで問題が可視化され、手間をかけずに欲しいものが手に入ることは、もやもやとした曖昧な時間が消えていくような明快さがある。社会には課題が常に山積みで、具体的な解決策は当然必要だ。ただ、あるひとつの問題を解決したとしても、人間はけっして他者を「わかった」ような境地に達することはないということは忘れてはいけないと思う。だから、考え続ける時間の「重たさ」を体験させてくれる山田太一ドラマが、これからの私達にも必要なのではないだろうか。 『男たちの旅路』NHKオンデマンドにて配信中 ■山田太一の小説をベースにした映画『異人たち』──手遅れだからこそ気づけた真の愛 日本を代表する名脚本家・山田太一の長編小説「異人たちとの夏」を、『荒野にて』、『さざなみ』のアンドリュー・ヘイ監督が映画化。1988年に日本でも大林宣彦監督により映画化された愛と喪失の物語を、現代イギリスに舞台を移してヘイ監督ならではの感性あふれる脚色と演出で描き出す。 12歳の時に交通事故で両親を亡くし、孤独な人生を歩んできた40歳の脚本家アダム。ロンドンの集合住宅に住む彼は、両親の思い出をもとにした脚本の執筆に取り組んでいた。ある日、幼少期を過ごした郊外の家を訪れると、そこには30年前に他界した父と母が当時のままの姿で暮らしていた。それ以来、アダムは足しげく実家に通っては両親のもとで安らぎの時を過ごし、心が解きほぐされていく。その一方で、彼は同じマンションの住人である謎めいた青年ハリーと恋に落ちる。 『異人たち』ディズニープラスの「スター」で見放題独占配信中 著者プロフィール/清田麻衣子 1977年福岡市生まれ。2000年明治学院大学文学部芸術学科卒。編集プロダクション、出版社勤務を経て、2012年に出版社・里山社を設立。東京、神奈川で活動し、2022年福岡市へ転居。山田太一の名作シナリオをペーパーバックで復刊したシリーズ・山田太一セレクション「男たちの旅路」、「想い出づくり。」、「早春スケッチブック」のほか、近刊は、東京で生まれ育った関西の被差別部落ルーツの自伝的エッセイ、上川多実著『〈寝た子〉なんているの?-見えづらい部落差別と私の日常』、韓国翻訳短編小説集、イ・ジュへ著、牧野美加訳『その猫の名前は長い』など。 編集・遠藤加奈(GQ)