ケミカル・ブラザーズの歌詞
ラジオで偶然流した曲が、ライブ当日ではなんと初めの曲だった。勝手に民族性への肯定を感じる私シャララジマ。そこから初期のヒット曲をメドレーしていった。はじめはケミカルを屋内で聴くことに慣れないながらも、ライブの音は音源で聴くよりも不揃いで生でグルーヴがあった。ライブではいつもビートに合わせたVJが映し出される。それはMVと関連しながらも違う映像で、音の展開がこんなにも印象的なのはなぜなのかと考えていた。すると音と映像が同時に同じストーリーを伝えようとしていることに気がついた。 かっこいい音を出すだけでひたすら楽しかった青年ふたり、がむしゃらに電子音楽をしていく、資本主義の極地で機械のように働く私たち、ヒューマニズムと戦う人間、前半戦はそのような事を解釈できる記号が映し出されて、私の中でイメージとなった。新アルバムの曲たちは中盤から少しずつ断片のメロディーが入ってきた。青くて無機質で機械的なビートにグラデーションで少しずつ黄色い有機的な音が足されていく。それとともに映像には黒人の青年のイメージが映し出されてきていた。怒っていて、訴えているような表情。 簡単には新曲に行かない葛藤を長い間、いままでのケミカルの曲とミックスして表現していたように感じた。白人であるケミカル・ブラザーズの二人が、ブラックミュージックを表現として使うことへの懺悔、葛藤、何よりも尊敬の気持ち。そしてそれでも誰のものであっても、音楽の前では人間は平等であるはずでしょう?という問いを一緒に行き来させられた私は後半涙が止まらなかった。どんな出自であれ、自分がどこから来ていようと音楽の前では平等なのかもしれないと心を震わせられるような体験だった。 人間の声が入っていたとしてもツールとして機能させたり、ほとんどインストの彼らの音楽の歌詞は、この映像にあるんだと思った。そのストーリー性は、音楽と映像と完璧にリンクしていて、言葉で語らずとも私の中に入ってきて歌詞として成立していた。よくある新アルバムのツアーではなく、ケミカル・ブラザーズは常に自分たちの思想と現在地を表現していた。ストーリーは言葉で語らなくたって、人に深く伝わることがあることに感動した。彼らに学んだ物語の力でいまこの文章を言葉で書いて、わたしの生の体験を描いてみた。 ●シャララジマ 南アジアにルーツを持つ、東京育ちのモデル、文筆家。“人種のボーダーレス”というテーマで容姿からは人種が容易に判断できないようにすることで、「No identity」というコンセプトを表現。自らの身体を使い、社会の中でインスタレーションをする新しい価値観が評価され、「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2023」を受賞。ファッションシーンを中心とした活動から、唯一無二のキャラクターでバラエティー番組や報道番組などでも活躍中。bayfm「シャララ島」レギュラー出演中(毎週金曜日28:00~28:27) Photo&Text_Sharar Lazima
GINZA