『24時間テレビ』はそれでも続くのか?日テレが迫られる「視聴者のこじれた感情」を修復する覚悟
● 『24時間テレビ』に交錯する賛否 いよいよテレビ「ジリ貧」な趨勢 現状で、『24時間テレビ』に寄せられている批判は主に次のようなものである。 「障害者をダシにするなどして、とにかく感動を煽ろうとする姿勢がどうかと思う」「金の動きが不透明で、寄付金着服の不祥事を経ていよいよ信頼に値しない」「パラリンピックにノータッチなのが解せない」「誰かがマラソンする必然性が理解できない」 また、毎年恒例のマラソンについては、今年台風が迫っている中の開催でもあったので、そこにも批判が集まった。SNSの書き込みだけではなく、メディアからの批判記事もすでに複数出ている。 デイリー新潮ではITジャーナリストの井上トシユキ氏の解説を用いて、これまでのテレビとネットの関係や趨勢を示し、「今はまだテレビが踏ん張れたとしても、このままだと将来的にはきついのではないか」という見通しが語られている。 【参考】 デイリー新潮 30歳以下の視聴者は「なぜマラソンを見て募金するのかが分からない」…「24時間テレビ」若者からソッポのリアル https://www.dailyshincho.jp/article/2024/09051104/?all=1&page=3
若者のテレビ離れは以前から言われていることだが、テレビに不利な条件はもう1つあって、それはテレビに対する批判のプラットフォームが主にネット、SNSであることだ。 これだけ『24時間テレビ』に関する悪評が渦巻いていると、ネットを使う人なら誰でもそれを度々目にすることになるわけだが、エコーチェンバー現象もあるし、そもそも多数が「よくない」と言っているものを人は好きになりにくい習性がある。つまり、このままだとテレビを好きになりにくい土壌がどんどん強化されていって、「テレビをちゃんと愛している人、許容している人はごく少数の“ネットを使わない人”」といった極端な状況になりかねない。 ● 寄付金着服事件で こじれた視聴者心理にどう向き合うか 寄付金着服事件はチャリティーの根底を揺るがす出来事であって、日テレの信用が地に堕ちたのは前述の通りだが、いよいよ「広告費で制作費だけ賄ったら、儲けた分を全額寄付するなら納得する」「下品なお祭り騒ぎなどせずに、番組制作にかけるそのお金を粛々と寄付すればいい」といった声まで出てきた。厳密には、こうした極論は以前からそれなりにあったのだが、今年はいよいよそれが結構な数の意見として挙がってきている印象である。 桜美林大学ビジネスマネジメント学群・西山准教授は、東洋経済オンラインへの寄稿で、「そうした意見を含めて、現実的でない批判については批判する人自身がその正当性を再考すべき」と提言した。「感情をおさえて一旦少し冷静になりましょう」という、感情が高ぶっている人に向けての至極まともな提案である。 【参考】 東洋経済オンライン 24時間テレビ「事前番組で金儲け」批判への違和感 https://toyokeizai.net/articles/-/821963 筆者は記事を読んで大いに賛同したわけだが、いかんせん視聴者の感情がもうそれくらいこじれるところまで、日テレがやらかしてしまっているとも言える。 テレビ局がどれだけの権威を振りかざせたとしても、そもそもが人気商売・客商売である以上、局はどうしても視聴者の意向をうかがわざるを得ない。客が偉そうにふんぞり返る光景は筆者も好きではないが、テレビ局が生存の道を探るなら、視聴者の意向に寄せていくことは賢明に思える。