メキシコでライセンス取得&デビュー“なにわのルチャドール”晴斗希の単身旅を支えたのはマスター・ワト【週刊プロレス】
晴斗希は19歳になった1月、メキシコに渡った。現地でルチャ・リブレを見てどのような思いがわいてくるのか。宿泊先も練習先も決めることなく行き当たりばったり。それは憧れであるルチャドールへの道を切り拓くというより、一方で夢を断ち切るための渡航でもあった。いざメキシコ行きの便に搭乗しようとしたその時、意外な出会いがあった。それは……。 【写真】ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアを制したマスター・ワト
「なんなんでしょう、ご縁なんですかね? メキシコ修行に出発するマスター・ワトさんと同じ便になったんです。『はじめまして』ってごあいさつさせていただいて。それでワトさんに練習場所とか泊まる場所とか紹介していただいて。それがなかったらどうなっていたか。ワトさんに親切にしていただいたことで気持ちにも余裕ができて。それで本場でルチャ・リブレを見て、“これが子供のころに憧れてたものだ。また1から頑張ろう”ってあらためて思いました。本当にワトさんの出会わなかったら、ただただルチャ・リブレを見て帰ってきただけかもしれませんし、プロレスから離れていたかもしれませんね」 中学時代のプロレス教室閉講、高校時代のたった1人の器械体操部と、ギリギリの状態に何度も追い込まれながらも辛うじてプロレスへの思いをつなぎとめてきた晴斗希からすれば、「いろいろな思いがようやくつながった感じ」。 ようやくプロレスラーへの道が大きく開き、アレナ・メヒコでのルチャ教室でトレーニングに通った。優等生だったそうだが、メキシコではデビューするのにライセンス取得が必須。テストは年2回。滞在中がちょうどその時期だったこと、指導していたウルティモ・グラディアドールの勧めもあってプロテストを受けた。 テストメニューは体力テストとルチャ・リブレの基本的な動き。見事合格して、ライセンスが発給された。当時、単身でメキシコに渡り、ライセンスを取得する日本人は少なく、「僕よりの上の世代は闘龍門があったからメキシコでデビューした選手も多いですけど、いま20代では少なくて。当時はたぶん、僕ぐらいだったんじゃないでしょうか」。そんななかでライセンスを取得し、2018年3月3日(現地時間)、現地でデビューしたことも自信につながった。 帰国後の同年10月には道頓堀プロレスに入団。翌2019年1月6日、大阪プロレスのプロレス教室でいっしょだった菊池悠斗相手に日本デビューを果たした。 道頓堀プロレス入門当時はまだ大学在学中。同団体は月1回ペースで大会を開催。それも休日のため学業に支障はなかった。しかし翌2020年の年明けから新型コロナウイルスが蔓延し、活動を自粛せざるを得なくなった。 まだコロナ禍にあった2022年3月、大学を卒業した晴斗希は、教職に就く。教師の道を選びながらプロレスを続けたのは、「メキシコにルチャ・リブレというプロレスがあって、そのスタイルを身につけて日本で披露して、次の世代に継承してもらうのが僕の使命なんじゃないかと勝手ながら思ってます」との考えから。 それは少年時代に憧れたツバサの存在が大きい。(つづく) 橋爪哲也 <プロフィル> 晴斗希(はるとき)/本名・非公開。98年12月14日生まれ、大阪市出身。高校時代は器械体操に打ち込む。卒業後、単身メキシコに渡り、2018年3月3日(現地時間)ダイナミック・フライ、ブラック・ストゥルエンド相手の3WAYマッチでデビュー。帰国後、道頓堀プロレスに所属する。菊池悠斗との生え抜きコンビで2020年、2022年の「道頓堀最強タッグキング」に優勝。WDWシングル&タッグ2冠王者に輝くも、2023年9月の同団体10周年記念大会でタッグパートナーである菊池に敗れてシングル王座から転落。2024年3月からNOAHに限定参戦。現在は岩崎孝樹とのコンビでWDWタッグ王座を保持する。得意技は、エル・モメント・デ・ムエルテ、クルス・メヒカーノ。180cm、85kg。大阪・住吉大社駅近くでタコス店「TACO CHAN」を経営する。
週刊プロレス編集部