「大使館占拠事件」「悪の枢軸」…… アメリカ・イラン対立の歴史
悪の枢軸、経済制裁、イラン核合意
イラン=イラク戦争後、ホメイニ師が死去すると、現在に至るまで最高指導者としての地位にいるハメネイ師が跡を継ぐことになります。 1990年、イラクのクウェート侵攻に端を発する湾岸戦争が起きると、アメリカは多国籍軍を編成し、イラン=イラク戦争では支援したイラクを攻撃します。一方、イランとの間では、1990年代に現在ほどの対立は目立ちません。 しかし、2001年の同時多発テロ事件後、対テロ戦争に突入していたアメリカのブッシュ大統領が2002年の一般教書演説で、イラク・北朝鮮と共にイランを「悪の枢軸」として非難。イランの反米感情は高まります。 アメリカは2003年、悪の枢軸と名指しした3か国のうちのイラクと戦争を始め、フセイン政権を崩壊させました。そして、2006年になると国連安保理決議に基づいてイランに対する制裁を始めます。これにより、イランの経済は大きな打撃を受けるようになりました。イランの最高指導者は引き続き反米姿勢の強いハメネイ師のままでしたが、イラン国内では経済状況悪化に苦しむ国民からアメリカとの緊張緩和を求める声も出るようになったといいます。 こうした中、2009年にオバマ氏がアメリカの大統領に就任したことで、両国間の関係に変化の兆しが見え始めました。オバマ政権が中心となって「イラン核合意」を推し進めます。核兵器の開発を疑われ続けていたイランと、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国といった安保常任理事国で核保有国の5か国とドイツが2015年7月に結んだ合意で、イランが核開発を大幅に制限する代わりに、経済制裁を緩和するというものでした。これにより、アメリカとイランの緊張関係もやや緩む方向に進むかと思われました。
トランプ大統領就任、核合意の有名無実化、イランは報復攻撃
しかし、こうした風向きを一気に変えてしまったのが、2017年に大統領に就任したトランプ氏でした。 トランプ大統領は、弾道ミサイル開発が制限されていないことなどを理由に、イラン核合意には「致命的な欠陥がある」と主張。2018年5月、一方的に核合意を離脱すると表明します。そして再びイランに対する経済制裁を進めました。これに対しイランは、2019年5月以降、核合意の制限破りをスタートします。 ちなみに、この直後の2019年6月、日本の安倍晋三首相がイランを訪問しています。外務省のホームページには、この訪問で安倍首相はハメネイ師と約50分間会談した旨が記されており、「ハメネイ最高指導者からは、平和への信念を伺うことができ、また、核兵器は保有も製造も使用もしない、その意図はない、すべきではない旨の発言がありました」「(中東)地域の緊張緩和に向けて、時宜を得た有意義な会談になりました」などと書かれています。しかし、日本の仲介は結果だけ見ると、効果的ではなかったといえるかもしれません。 イランは今月5日、ソレイマニ司令官殺害を受け、国営メディアを通じた声明で、核合意の制限を破り、ウランを無制限に濃縮することを宣言しました。昨年から事実上、有名無実化に近づいていたといえる核合意ですが、これにより、もはや風前のともしびになったといえそうです。 革命防衛隊の報復攻撃について、イラン国営テレビが少なくとも80人の「米国のテロリスト」が死亡したと報じた、との報道もあります。アメリカとイランの関係はこれからどこに向かうのでしょうか。