台湾で新日本プロレスの人気が高い理由 プロレスラー・新日本プロレス社長 棚橋弘至
黒木)棚橋さんはどの辺りで出るのですか? 棚橋)いまはチャンピオンではないので、真ん中くらいですね。タッグマッチは2対2や3対3の他にも、4対4、5対5もあるので、すごいですよ。リングのなかで10人がグチャグチャになります。基本的には1対1で戦わないといけないルールですが、反則が5秒以内とか、割とルールがファジーなのです。レフェリーが見ていなければ反則も行えるので、1人がレフェリーを捕まえておき、うしろでボコボコやることもあります。こんなに曖昧なスポーツはないですし、そこがまた面白い部分でもあります。 黒木)ファンが歓喜するわけですね。 棚橋)「うしろ、うしろ!」と言って教えてくれます。 黒木)社長になられて数ヵ月ですが、就任当初と現在で、何か変化はありますか? 棚橋)プロレスラーになったときは、社長になれるとは考えていませんでした。プロレスという競技が終わったあとのセカンドライフでも、新日本プロレスのことを考えないといけないので、よくしていきたいなと思っています。 黒木)道場には、亡くなられた猪木さんのパネルが置いてあるそうですが、そのうち棚橋さんのパネルも現役中に……。 棚橋)猪木さんの本名は「猪木寛至」なのですが、そのなかから私は「至」という漢字を一字いただき、棚橋弘至になったのです。「弘」一文字でも「ひろし」と読めるのですが、あえて止め字で「至」をいただいています。父が猪木さんのファンだったそうです。 黒木)おばあちゃんだけではなく、家族でファンだったのですね。 棚橋)生まれながらにして、プロレスラーになることを宿命付けられていたのですね。 黒木)やはり100年に1人の逸材ですね。
棚橋弘至(たなはし・ひろし)/プロレスラー・新日本プロレス社長 ■1976年、岐阜県生まれ。 ■立命館大学法学部時代にレスリングを始め、1999年、新日本プロレスに入門。10月、真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。 ■2003年に初代U-30無差別級王者となり、その後2006年に団体最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座を初戴冠。第56代IWGPヘビー級王者時代には、当時の歴代最多防衛記録であるV11を達成した。 ■またプロレスラーとして活動する一方で、執筆の他、テレビ番組等に多数出演。2018年には映画『パパはわるものチャンピオン』で映画初主演。2016年にはベスト・ファーザー賞も受賞した。 ■愛称は「100年に1人の逸材」。 ■2023年12月、新日本プロレス新社長就任を発表。