「バンド名もなし、牛がいるだけのジャケットでどうやってレコードを売るんだ!?」〈ジャケ買い〉を生んだ伝説のデザイン集団『ヒプノシス』、コンピュータもフォトショもない時代の熱い手作業
コンピュータもフォトショップもない時代の熱い手作業
「僕たちはいつも自分たちに言い聞かせてきた。自分たちの作品は音楽そのものに匹敵するようなアートだって。音楽による聴覚的な経験と同じくらい、芸術的な価値のある視覚的な経験を創造することを常に考えてきた」(ストーム・トーガソン) バンドの写真をカバーにするというお決まりのやり方を避けたからこそ、革新的にもなった。まずは手掛けるアーティストの音楽を聴いて歌詞を読んだ後、二人でアイデアを交換して練り上げていく。 それが固まるとスケッチに起こしていく。次に二人とも絵が下手だったので、友人のイラストレーターに頼んで描き出してもらう。そしてアーティスト側へ説明し、正式に話が決まればスケッチに基づいて本物の制作に取り掛かる。 写真素材がほとんどだったので、いろんなロケ地へ撮影しに行くといった流れだ。それはコンピュータもフォトショップもない時代の熱い手作業だった。 ほぼ毎日のように新しいプロジェクトが現れた。仕事を探す必要などがなかった。彼らのスタジオには、バンド、マネージャー、画家、イラストレーター、クリエーターなどが頻繁に出入りし、ポップカルチャーの中に高くそびえ立っていた。 レコード会社に縛られない力を持ち始めたアーティストたちは、彼らに自家用機、スタジオ、自宅、舞台裏など、本来は禁止されていた場所での撮影を喜んで提供するようになった。 激動の60年代後半から70年代前半の真のロック黄金期。そして巨大化と商業化していく70年代。膨大な予算と創造的な自由が、ヒプノシスを更なる成功に導いた。
MTVの登場で表現の場をビデオに移行したが…
ヒプノシスが生み出すアルバムジャケットには、時代の空気、ミュージシャンたちの音楽、そして純粋な作品としてのアートが結実していく。 「レコードの売り上げのためにアルバムジャケットを制作していたわけじゃない。何らかのアーティスティックなインパクトを考えて作ったのであって、マーケティングとかイメージ戦略とかそういうことじゃなかった。僕たちはミュージシャンが音楽を作るのと同じくらい、真摯な姿勢でジャケットをデザインしてきた。だから人々が長いこと僕たちの作ったイメージを楽しんでくれるのはとても嬉しい」(ストーム・トーガソン) 1978年には、アシスタントだったピーター・クリストファーソンが対等パートナーとなり3人体制となったヒプノシス。 そんな彼らに転機が訪れたのは80年代。MTVの登場だった。やり遂げた感があったという彼らは1983年に解散。 そして表現の場をビデオに移行するため、映像制作会社グリーンバック・フィルムズを起こすも、あえなく倒産。ストームはデザイン制作、オーブリーは映画制作、ピーターはビデオディレクターや音楽制作と別々の道を歩んでいった。 デザイン仕事を再開したストーム・トーガソンは、90年代以降もピンク・フロイドのほか、オーディオスレイヴ、マーズ・ヴォルタ、ミューズなどの新世代バンドのヴィジュアル世界を創造した。2013年4月18日に死去(享年69歳)。