”68歳で年収200万円”の契約社員が振り返る「きつかった仕事」
年収は300万円以下、本当に稼ぐべきは月10万円、50代で仕事の意義を見失う、60代管理職はごく少数、70歳男性の就業率は45%――。 【写真】意外と知らない、日本経済「10の大変化」とは… 10万部突破のベストセラー『ほんとうの定年後』では、多数の統計データや事例から知られざる「定年後の実態」を明らかにしている。
週末勤務で会社を支える
谷雄二郎さんは、秋田県出身の68歳の男性。 もともと学校での勉強は好きでなかったが、幼少の頃からモノ作りが好きであったことから高等工業専門学校の機械工学科に進む。 その後、東京に出ていきたいという思いもあり、工場勤務が想定されている製造業の会社ではなく、かつ機械関係の知識も活かせるメーカー系列の自動車販売会社に1970年代に就職することになる。 メーカー系列の会社ということで、当初は本社と機械の知識を活かしながらやり取りする仕事かと思っていた。 ただ、当時は社内で営業が圧倒的に足りない状況であり、営業職として仕事を始めることになる。最初は意に沿わなかったものの、上司や同僚にも恵まれ、営業がやりがいのある仕事となる。 「仕事はきつかったですが、景気がよかったので給料が毎年上がっていくんです。そこからバブル期に移行し、いい思いもさせてもらいました」
心労は絶えなかった…
40歳の手前で営業チームのマネジャーに抜擢され、仕事の責任は一層増した。 3年後、本社に戻され、中古車を売り捌く部署の責任者となった。 中古車販売の利益は下取り価と売価の差が大きいほど高くなるが、売価を上げすぎると、新車が売れなくなり、自動車会社としての利益がしぼんでしまう。それを防ぐため、上層部との調整が不可欠だった。 「仕事内容は正直言うときつかったです。仕事である以上、成果を挙げなきゃいけないですよね。私の場合は、下取りした中古車をどう流すかっていう仕事ですが、利益が上がってこなきゃしょうがないわけです。でも台当たりの利益を上げたばっかりに、量が減っても、これはめちゃくちゃ言われちゃいますし」 下取り車の数は月によって大きくばらつく。ある月は利益が少なく、ある月は多い、となりがちなので、数字をならさなければ経営の健全性が保てない。それを調整する過程で、経営と現場の板挟みになる場面が多く、心労は絶えなかった。