大泉洋、高祖父の生きざまに感銘「僕の今後の生き方は変わります」「恥ずかしい生き方は見せられない」
俳優の大泉洋(51)が、29日放送のNHK『ファミリーヒストリー 大泉洋 ~北海道の大地が育んだ人気俳優のルーツとは~』(後7:30)に出演。父方の高祖父の生きざまに感銘を受けた。 【写真】5年前…大泉洋『星野源ANN』で笑顔 洋の父・恒彦さんによると、そのルーツは東北・白石(宮城県)にあり武家の出身だという。最も古い戸籍をたどり、現在の宮城県白石市を訪ねることに。大泉は「武家ですか?行ったことないな」と興味津々。 伊達家の重臣・片倉家の居城であり、仙台藩の南の境にある重要な城・白石城を訪ね、さらに仙台市博物館で片倉家の資料を確認すると、そこには大泉善八の文字が。その後、さまざまな資料から大泉善八という名前が代々名乗られていた通り名であることが明らかに。さらに白石城の南東方向に大泉家の屋敷があったといい、現地取材を見た洋は「結構立派な…」と驚いた。 だが、戊辰戦争で敗れた仙台藩はこの地を離れ、北海道に移住することに。そこで輸送する船をして新政府が用意した船が咸臨丸。その400人に及ぶ乗船した名簿の中に大泉善八の名前があり、それが洋の高祖父にあたる安定(やすさだ)であると明かされた。 高祖父夫妻を乗せた船は、札幌を経由し、小樽に向かう最中、木古内町に座礁し、沈没。現地の人々の助けにより、高祖父夫妻は命からがら着の身着のままで逃げたというが、初めての北海道の寒さに苦しめられながら、現在の札幌市白石区に居を構える。さらに当時の資料をひも解くと、「五人組がいくつか集まったなかのリーダーで、若くて伍長になっているということは抜きんでていた人のひとりなのかもしれない」と分析された。さらに晩年は白石村(当時)の村会議員も2期務めていたことが判明。一度は路頭に迷いながら新天地北海道で村の発展に寄与してきたと伝えられた。 この高祖父の存在に洋は「いや~ びっくりしました。自分の家がもともと武家とは思ってなかったです。何か勝手に町人かなみたいな気がしてました。商人とかね」と正直な感想を吐露。洋はここまでのVTRを見て、「もうここでもう僕は帰ったとしても、僕の今後の生き方はもうちょっと変わります。この善八さんに恥ずかしい生き方は見せられないと思いました」と、高祖父の生きざまに、感銘を受けた様子だった。