震災から6年半、運転再開の富岡駅「190円」切符に込められた願い
岩手や宮城に比べて寂しい開通式
福島県双葉郡富岡町は、震災前、約1万6000人が暮らす町でした。町内には福島第二原発があり、さらに福島第一原発からほど近いこともあって原発で働く住民も多く、双葉郡のなかでは中心的な地域でもありました。 しかし、震災の津波による影響で富岡駅の駅舎は流されてしまい、また原発事故の影響で避難区域となったため、一時は住人さえも立ち入りが認められず、町からは人影が失われました。2013年から徐々に住人らの立ち入りが認められるようになり、震災から6年が経ってようやく本格的な復興がスタートしました。ただし、10月1日時点で富岡町に帰還した住人は、住民登録者1万3295人のうち、全体の2.2%に当たる304人にとどまっています。 営業運転開始は、衆院選投票日の前日でした。地元の人たちの話を聞いたところ、政治に期待しつつも不満を抱えている住民のもどかしさは大きいと感じました。 「東京五輪に人を持っていかれて人手不足。復興の足かせになっている」 「(富岡の)駅の周辺だけが盛り上がっているけど、自分が住む地域はまったく何もない。自分以外は地域で戻る動きもない。富岡全体の復興になってない」 「働き盛りの子育て世代と、その子供たちはもう帰ってこない。どうやって戻すのか、政治家は誰も語らない。子供がいない町に未来はない」 前述した通り、避難が解除されてから半年が経って帰還したのは300人程度です。この日は小雨模様ということも影響してか、町の内外から富岡駅に訪れた人たちで賑わうというよりも、関係者たちの方が目立っていました。筆者は、東日本大震災の影響で不通となった鉄道が復旧するのを何度か取材していますが、岩手県や宮城県の鉄道が復活する姿に比べて圧倒的に寂しい開通式だったというのが率直な感想です。原発事故の影響からの復興は厳しいものであるという現実をあらためて感じます。
全線開通へ向けて一歩一歩
しかし、それでも一歩ずつ前に進んでいることもまた事実です。東京から仙台を結ぶ鉄路の常磐線は、震災直後にいわき駅(福島県)から岩沼駅(宮城県)までが不通となりました。北部では、今年春にようやく浪江駅(福島県浪江町)までが開通し、南部では今回の竜田~富岡間が開通され、まさに一歩一歩、全線開通へと復旧が進んでいるのです。 真新しい富岡駅の券売機で、開通の記念に初乗り運賃のつもりで190円の切符を購入しました。ですが、南隣りの竜田駅までの運賃は200円でした。実は常磐線では、富岡駅から北にある浪江駅までの区間はいまだ不通のまま。190円は、いずれ開通されるであろう同区間にある夜ノ森駅(富岡町)までの運賃なのです。この190円の切符には、JRや地元の人たちの鉄路完全復旧への願いが感じられました。 富岡駅を離れ、期日前投票の会場となっている富岡町役場へ行くと、ある老夫婦と出会いました。この夫婦はいわき市に避難していましたが、避難生活の中で認知症が始まった夫の故郷である富岡町に戻って暮らしています。 「私には難しいことは分かんないんですけどね。安心して静かに暮らせるように、お願いしたいっていうだけで」。夫の手を引きながら妻はそう話しました。 「生まれ育った故郷に戻りたい」「慣れ親しんだ自分の家に帰りたい」そんな当たり前の思いを持ちながらも、富岡町だけで約1万3000人、福島県全体ではおよそ5万5000人の人たちが今も避難生活を送っています。 (フリーランス編集者/渡部真)