原点は大正天皇だった「皇室とクリスマス」の知られざる関係 雅子皇后が両親に綴った“クリスマス・カード”秘話
レアだった母子の映像
美智子上皇后は史上初の民間出身の皇太子妃となったことで、旧華族関係者や学習院OGら守旧派からバッシングを受けたが、それは後述する。 雅子皇后も同様に民間から皇太子妃となり、美智子上皇后とは時代背景が異なるものの、86(同61)年に施行された雇用機会均等法で女性の社会進出が注目を浴びる中、「外交官の卵」というキャリアを捨てて皇室入り。なかなかお子さまに恵まれなかったことと、精力的に国際親善のため外国訪問に取り組んだことをリンクさせて「外国にばかり行きたがってお世継ぎづくりを軽視している」と心ないバッシングにさらされた。 そうしたことも影響し、2003(平成15)年12月から帯状疱疹と適応障害で長期療養に入り、04(同16)年5月、天皇陛下が皇太子としてスペインなど欧州3カ国歴訪を前にした記者会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった」と、いわゆる“人格否定発言”を行った。 前述した「恵比寿ガーデンプレイス」訪問直前の07年8月には、雅子皇后がお世継ぎ懐妊を強要されて人権を失ったとして、英国生まれのフリージャーナリストのベン・ヒルズが雅子皇后の伝記と称して単行本『プリンセス・マサコ』を出版している。 こうした状況下で雅子皇后の公務欠席が続き、まだ幼かった愛子さまを連れたプライベートの映像もレア(希少)となっていたため、ご一家そろっての恵比寿訪問には注目が集まった。報道陣の殺到も予想されたため、宮内庁は「報道関係者と分からないよう商業施設の一般客にまぎれるかたちで取材して欲しい」とマスメディアを規制。「いき過ぎた報道統制だ」との反発を招いたというエピソードも残る。 ただ平成から令和に時代は移り、雅子皇后や成人に達し大人の仲間入りをした愛子さまの姿を国民が目にする機会も増えている。 万国共通の華やかなイベントとして定着しているクリスマスは、日本でも多くのカップルや家族、気の合う仲間たちが毎年、心待ちにしている一大行事であることは言うまでもなく、今年も天皇ご一家がクリスマス・キャンドルを和やかに囲むようなシーンを国民が目にする機会に恵まれるかもしれない。